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- 第4章 -
息を切らせて、アサミは車が過ぎ去っていった方角を追いかける。少し行ったところで、すでにピーターさんがそのプリウスの前に立ちはだかって、止めていた。
「よく見つけたね、えらい」
アサミを認めると、ピーターさんは微笑みを投げる。そして、何やら鍵のような不思議な道具をポケットから出して車のドアのロックをこじ開けた。
中を見ると、童話のフック船長そのままのコスチュームを着た老人が、おびえたように縮こまっている。
ピーターさんは、おもむろに上着から1本の注射器を取り出し、アサミに手渡す。
「さあ、これでフック船長を始末するんだ。なに、痛みはないよ。このネバーランドはとても進んだ国だから、長く生き過ぎた人間への安楽死が認められてるのさ」
「この人、確かに恰好はまんまフック船長だけど……本当に、そんなことしなきゃいけないの?何だか、怖がってるじゃない」アサミは言い返す。
「ふん、怖がってるのなんて見た目だけさ……証拠を見せてあげよう」
言うやいなや、ピーターさんは強引に老人の手荷物を奪い、中から何か取り出す。それは、年金手帳と銀行通帳だった。それをパラパラとめくりながら呟く。
「ほら、年金もたっぷりもらって、銀行の残高も結構あるよ……そりゃ、数少ない若者たちに支えてもらって生きてんだから。僕ら若者のことなんて、養分としか思っちゃいないのさ」
「そんなもんなの……?なんか納得いかないけど」
「とにかく、このフック船長を始末しないと始まらないよ。このネバーランドにずっといたいだろ?」
ピーターさんは老人を押さえつけ、あごを上げさせ、首筋をさらす。さあ、ここにその注射器を突き刺すんだ、といわんばかりに。
そんなピーターさんと老人を見つめるアサミは、言い知れぬ違和感に気づいた。この老人、何かがおかしい。どこかで、見覚えがある。
アサミは突然、フック船長の長いあごひげをつかみ、強引に引っ張った。驚くピーターさんと老人を尻目に、そのあごひげは綺麗に丸ごと顔からすっぽりと取れた。すると、その下から現れたのは、老婆の顔だった。
その老婆の両肩をつかみ、アサミはその顔を真正面から見つめる。4つの大きな瞳が、交錯しあう。
「この人……もしかして、あたし自身?」
ピーターさんは苦虫をかみつぶしたような顔をする。
「そうだ、間違いない…この目、輪郭……この人、年取ったあたし自身でしょ?」
一瞬ピーターさんが言葉を探す間に、老婆が口を開く。
「そうだよ……だからあたしを殺すなら、未来のあなた自身が永久に死ぬことになる……」
その言葉に、アサミの頭の中で時が止まる。
あ、そうか、そういうカラクリだったのか。
このネバーランドの住民は皆、26歳の誕生日前に、自分で未来の自分を殺すのだ。
そういう訳で、誰も永遠に年を取らないのか……
アサミは、少し震える口調でピーターさんのほうを向く。
「ねえ、あたしがこの人を殺さないとしたら……どうなるんだっけ?」
「そりゃ、君はもうこの世界にはいられなくなるのさ」
すると老婆がすかさず続ける。
「だって、その場合は……26歳の誕生日と同時にあなたがこの男に殺されるんだからね」
アサミの頭の中は再び真っ白になる。
そしてこわばった表情で、ピーターさんに向きなおる。
「……こんなに余計なことを知ってしまった人はちょっと珍しいな……」数秒の間をおいて、彼は息をもらす。
「だけど、それがどうだっていうんだい?君は今、この老婆を始末して、この楽しいネバーランドで一生若者として暮らすんだ。それでいいじゃないか」
ピーターさんは明るい表情に戻り、大きな身振りでアサミに語り掛ける。
「この世界に長くいる人は、みんなこのイベントをやってきてるのさ。その時、未来の自分を殺したんだってことに、気づいた人も、あるいは気づかずに事が済んじゃった人もいると思う。それでもみんな結局は、年を取らずに永遠に若くいることを選んでるのさ。」
横で老婆が、小さくつぶやく。
「そう、そうやって殺された皆の長い長い未来は、この男やこの世界が永遠に若くいるためのエネルギーとして使われるんだからね……」
老婆は言葉をつづけながらアサミを見る。
「あたしを殺さなきゃ、あなたが殺されるわけだし、結局みんな、この男に騙されてるだけなのさ……いや、共犯といってもいい。この、永遠に未来も成長もない、『若さ』という幻想の世界のね……」
アサミはじっと固まったまま動かない。数秒が経った後、彼女は大きく叫ぶ。
「ふざけんじゃねええええこの野郎おおおおおやっぱり騙しやがってええええ」
アサミはピーターさんを突き飛ばすと、老婆を車の奥に強引に押しやり、ハンドルを握る。
そしてエンジンをかけ、急発進させる。慌てて止めようとしたピーターさんの体が車体に強く当たったような気もしたが、それは定かではなかった。無我夢中で、アサミは車を加速させた。一刻も早く、ピーターさんのいる場所から立ち去りたかった。もっと速く。もっと遠くへ。
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