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【戻った記憶、それから(3/3)】
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44.ショートストーリーズ
【平手打ち】
その日、遼太郎が帰宅後のゲームタイムを終えると、いつものようにソファの隣で観戦していた桜子が、
「あ、りょーにぃ。ちょっとテレビ見ていい?」
立ち上がって、ぐっと前屈みでテーブルのリモコンに手を伸ばした。その時、不意に遼太郎はとある衝動を覚えた。
目の前に突き出された、丸い物体に触りたい――……
遼太郎の名誉のために言うと、そこにエロい感情は皆無であった。
それは言うなれば、可愛らしい動物を見て触れたい……いや、少し違う……未知の物質・素材が、固いのか柔らかいのか、或いは熱いのか冷たいのか、それが知りたいと思う謂わば知的好奇心、科学的探究心に属するものだった。
俗人どもよ。それをエロだと言いたければ、言うがいい。
遼太郎は反射的にすっと上げた左手を、ぴたりと止めた。
(確かに、この物体は俺の知的好奇心を刺激するモノだ……)
だが、そうである以前に、これは“妹の尻”だ。触っていいものなのか……?
(常識的に考えれば、答えは”否“だろう)
(この物体を”女性のヒップ“と定義した場合、俺がしようとしていることは、迷惑防止条例違反で”6か月以下の懲役、または50万円以下の罰金“が科せられる犯罪行為だ……)
(そもそも妹の尻を触ろうという時点で、常軌を大幅に逸してもいる……)
(だが、それは相手の承諾が得られていなければの話だ)
(桜子の同意を得てみるか? 交渉を持ち掛けた瞬間に、前以上に兄妹の関係が断絶する懸念は大いにあるが、何となく最近の桜子なら、或いは事後承諾でも、案外笑って許してくれそうな気がする……)
(ただ問題は、俺の意図がエロいモノだと受け取られた場合、拒否されても同意が得られても……いや、むしろ笑って許された方が、厄介なことになるような気もする……)
遼太郎はそこまで考えると、宙に浮かせた左手を高く掲げて……
スパァーンッ!
「ひゃいんっ?!」
桜子のショートパンツに思い切り振り下ろした。
存外にいい音が鳴り、桜子が悲鳴とともにピィンを背筋を反らした。しばし桜子はそのまま余韻に耐えていたようだが、やがて涙目で振り返り……
「な……何……?」
小刻みに震えながら、兄に問い掛けた。
(む、予想以上に会心の一撃が入ったな……)
妹が泣きながら疑問を訴えるのも無理はないだろう。ここは兄として、それらしい言葉を掛けてやる必要がある。
「戦場で敵に背を向けるな!」
「ふええっ?!」
遼太郎はそう言い放つと、腕組みしてソファに背を預けた。桜子の頭の上にはクエスチョンマークが飛び回っているだろうが、遼太郎の頭上にはエクスクラメーションマークがひとつ輝いている。
(なるほど。思ったより、弾力がある……)
遼太郎の知的好奇心は、こうして満たされた。
桜子からしてみれば、いきなりお尻に平手打ちされて、鬼軍曹みたいなことを言われて、何が何やらわけがわからない。窺い見る兄はこともなげに、どこか満足そうな笑みを浮かべて悠々と座っている。
(ド……ドSやあ……やっぱりお兄ちゃんは、眼鏡の皮を被ったドSやあ……)
右の尻っぺたはまだジンジンしている。ショートパンツの上からだったけど、ぱんつを脱いだ生尻は、たぶん真っ赤になっていることだろう。
その熱いような痛みを噛み締めながら桜子は……
何となくもう一回して欲しいとは、どうしても言えなかった。
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【ゆっきー先輩と有紀先輩】
「桜子―! 記憶が戻ったそうだなー!」
ある程度の予想はしていたが、それでもゆっきー先輩こと、女子バスケ部の鬼主将・住之江有紀の再びの襲来は、桜子にとってまるで嵐だった。
「ついに2年のエースフォワード、“百花繚乱の桜子”の復活だなー!」
「え、あたしそんな二つ名ありましたっけ?」
首を傾げる桜子に、ゆっきー先輩は嬉しそうに笑い掛ける。
元々桜子は女バスの部員であり、記憶のない間は休部扱いにしてもらっていた。可愛がっている後輩の待望の復帰に、ゆっきー先輩は喜んでくれている。
だが、桜子は――……
「戻らない?! どういうことだ!」
桜子が、今はまだ部活に戻る気になれないことを告げると、ゆっきー先輩は怒り半分困惑半分に詰め寄った。
「まだ、ケガに不安があるのか、桜子?」
「それもあります、けど……」
記憶の戻った桜子だが、それ以前の感情が、そっくりそのまま戻って来たのではなかった。記憶のない間に新しく好きになったもの、そうではなくなったもの……バスケへの情熱は、頭では覚えているが、心に戻らないもののひとつだった。
桜子は言葉を選びながら、そのことを説明したが、ゆっきー先輩は当然納得しない。
「とにかく、まずはやってみたらどうだ?! ボールに触れてみれば、桜子にだってバスケへの気持ちが戻って来るかもしれないだろ……」
「ゆっきー先輩……」
桜子は首を振り、困ったように微笑んで言った。
「あたしが、情熱のないままコートに入って、ゆっきー先輩には許せますか?」
「……! 桜子、お前……」
桜子は、自分がバスケを好きだった気持ちは思い出せない。けれど、有紀先輩のことだったら、有紀先輩がバスケにどれだけの思いを持っているかは覚えているのだ。
桜子のまっすぐな目を見て、ゆっきー先輩は泣き笑いのような表情になった。
「やっぱ、お前は私のことをよくわかってるな」
そう言った先輩は桜子に向かって歩き出し、すれ違うと、
「わかったよ、桜子。けどお前の背番号は、私が主将の間は欠番だ」
「ゆっきー先輩……」
振り向いてニッと笑い、ハイタッチするように手を上げて――……
「私はいつまでだって待ってる、忘れんなよっ」
パァン! 桜子の、まだ痛みの残るお尻を音高く叩いた。
「ひゃああああん! またあ……?!」
桜子はピンッと背筋を伸ばし、ビクビクっと震えると、
「お、おい、桜子?!」
くたりとゆっきー先輩にしな垂れ掛かるように抱きついた。驚いて見ると、桜子がほんのりと頬を染めて、大きな瞳をうるませて自分を見上げている。
「ちょ……桜子、待て、顔が近い……っ」
ゆっきー先輩は自分も赤くなり、ドキドキしながら桜子を抱きかかえる。
「私、何か目覚めそうだから……」
「ゆっきー先輩……あたしもぉ……///」
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【忍者と女狐】
「オバセ君ってさ、オタクのクセに女子と仲いいよね?」
休み時間、根来忍者の末裔こと東小橋君と、学園の謎を密かに追う男・西中島君が取り留めもない話をしている。
「これはいきなり手厳しいでござるな、西の」
東小橋君は眼鏡のレンズを白く光らせつつ、中指でくっと押し上げた。
東小橋君は隣の席の桜子が、記憶がない時に話し掛けてきたのをきっかけに、今はその友達のサナやチーとも割と普通にしゃべるようになっている。
「しかし、そうでござるな。拙者の場合、オタクのクセに女子と話すのではござらぬ。むしろ、オタク故に女子と話せるのだと申しておこうかな?」
「オタク故に?」
クラスの中では五十歩百歩に“モテ”とは縁遠い西中島君に、幾らかのアドバンテージを感じながら、東小橋君は宣う。
「恋愛シミュレーションを網羅した拙者に言わせれば、データ、統計、類推、予測……その全てが正しければ、自ずから正しい結果が導き出されるものにござるよ。結果が知れているのなら、何も怖れることはござらん」
東小橋君の御高説に、西中島君は首を傾げる。
「ゲームと本当の女の子が一緒になるかなあ?」
「何の。現実の女子とて、所詮は目や耳の感覚器からの情報を、脳内で再構築した電気信号に過ぎぬ。現実と仮想の垣根など、主観的には在って無きがもの……」
「ほ~お? じゃあ、この私の可愛さも、お前ごときの脳内で、完璧に再現できてるってかあ、アズマ~」
地の底から響く可愛らしい声に、東小橋君と西中島君がきょろきょろ辺りを見回すも、声はすれども姿は見えず……と、机の向こう側に、ぬっと二つ括りがせり上がった。
「チョーシこいたこと言ってんじゃん、アズマー」
「み、都島殿……」
鼻から上を机の縁から出して、笑っているチーの目は肉食系小動物のそれ。草食系男子の最たる二人は、蛇に睨まれた蛙、否、オタマジャクシに等しい。
小柄なチーはひょこっと立ち上がると、あまり目線の変わらない大柄な東小橋君を辛うじて見下ろして、
「じゃあ、アズマの完璧なシュミレーションとやらを試してやるよー」
そう言いながら椅子の方へ回ってきて、チーはスカートの横っちょの裾をつまみ、ほんの少しだけ持ち上げた。
「お前のデータ、統計、類推、予測で、私の“正しいぱんつの色”を当ててみ~?」
隣の西中島君がブッと噴き出し咳き込んだが、東小橋君は少し怯みつつも、
(さすがは都島殿……ナリは小さいが、聞きしに勝る猛獣っぷり……)
オタ系男子に絡んでくるエロ系女子とか、ソレナンテ・エ・ロゲ(1599~1664 フランス)?
されど、この根来の末裔たる東小橋博之、死して屍拾う者なし……!
東小橋君は小悪魔的なチーの笑みに、「フヒッ」的な笑みを返した。
「女狐でござるな、都島殿。だが、忍に色仕掛けは利き申さぬよ」
「ほ~? じゃあ答えてみろよー」
東小橋君は再び眼鏡を光らせると、
「そもそもこの賭けは、最後に正解を提示……つまり、見せねば成立せぬものにござる。如何な“からかい上手の都島さん”とて、男子の前で下着は開帳できますまい。故に導き出される“類推”は、短パンかスパッツ。そして賭けの目的はズヴァリ“陰キャ二人が慌てふためくところを愉しむ”ため!」
「美しきスイリが拙者に囁く真実……如何にござろうか?」
東小橋君の華麗なる看破にぐっと言葉に詰まりつつ、チーは食い下がった。
「やるじゃん、アズマ。じゃあ、短パンとスパッツどーっちだ?」
「往生際が悪うござるな。そうでござるな、短パンをはいていては、スカートの線が崩れようから、スパッツ? まあ、レギンスなら拙者の負けでいいでござるよ」
東小橋君は余裕を見せた。なぜなら、下に何をはいていようと、女の子が自らスカート捲って見せてくれたら、それはそれでエロい。負けても大勝利!
「お前がレギンス知ってるのが驚きだなー」
チーはそう言って、ニヤッと笑うと、すっとスカートの横を持ち上げた。
「正解は、黄色でしたー」
東小橋君と西中島君は、目が点になった。それは、サイドの部分がチラリではあったけれど、紛れもなく正真正銘のクラスメイト女子のぱんつだった。
チーが指を離すと、スカートがふわり、神秘の布を覆い隠した。
「ま、タータンチェックでも正解だったなー」
チーはけらけらと笑うと、腰に手を当てて、東小橋君に視線を合わせた。
「アズマ~、お前のデータ、統計、類推、予測もたいしたことねーなー」
「む……無念……」
東小橋君はがっくり首をうなだれた。けど……負けたけど、得たものは大きかった。
チーは勝ち誇って東小橋君の頭をポンポン叩き、
「ま、悔しかったらバーチャルじゃなくて、もうちょい“現実”を見ろって」
くるっとスカートをひるがえして、東小橋君達に背を向けた。
都島千佳はそうして背中を向けたまま、クスっと笑って呟いた。
「アズマの見えてないもの、まだあるかもよ……?」
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【素敵な物、見つけた!】
桜子は自分の机の抽斗を開けて、見覚えのない物を見つけた。
「どうしたんだっけ、これ?」
今の桜子は、失くした記憶、記憶がなかった間の記憶、その全てを取り戻しているものの、何もかもがすっきり整理されているかと言えば、そうではない。
言うなれば頭の中に“常用フォルダ”と“保存用フォルダ”があって、逐一必要に応じて引っ張り出さなきゃならない記憶もある……そんなイメージだ。
桜子が見つけた物は、どうやら“保存用フォルダ”の方に入っている記憶らしい。
「でも、カワイイな」
桜子は自分の記憶を探りつつ、それをひょいとつまみ上げた。
「思い出したー! 外れねー!」
タングステンのリングは、またお兄ちゃんが外してくれました。
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