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 「牧畜が主流だった中世の西洋文化においては、家畜を食べてしまう狼という存在は人々にとって忌むべき物だったのかもしれません。一方、古来より農業を営んできた日本において、狼は田畑を荒らす害獣を食べてくれる『益獣』として畏敬の念を抱かれる存在だったと言います。狼という漢字は「良い獣」と書かれていますからね。『日本書紀』では、東征の英雄である日本武尊(ヤマトタケル)が三峯を訪れ道に迷ったとき助けたのも狼でした。その出来事に感謝し、日本武尊はのちに伊弉諾尊(イザナギノミコト)伊弉冉尊(イザナミノミコト)の二柱をお祀りし、狼を神の使いとして定めたと言います」  「そんなに古来から?」目を見開いて驚く池上。「しかも、由緒正しいものなのですね」  狼信仰というのは勝手ながら邪宗に近いように感じていた池上は、自分の無知を恥じるように言った。  「そうですね。弥生時代には狼の骨などが神事や装飾の道具として用いられていたと言います。そのような歴史を踏まえ、狼は人間によって神格化され、ついには山の神、または大神としての側面を持つようになった。昔は日本中に生息していたようですから、各土地土地で、様々な形の狼信仰が連綿と伝わっていったのかもしれません。それらがある程度まとまり、一つの宗教として大きくなったのは、かなり時代が流れてからでした。1720年に日光法印という僧が三峯に入り、繁栄の基礎を固めたと言います。狼を御眷属様とし、そのお札を配布する御眷属信仰が始まりました。三峯神社を中心とした狼信仰が全国に大きく広まった」  「その頃は、ポピュラーな宗教だったわけですね」  感心し、溜息をつきながら言う池上。岡谷は自分の話が大きな関心を持たれたのに気をよくしたのか、笑顔で頷いた。  「もちろん、多くの信仰のうちの一つではあったのですが、ある時期には大流行したりもしたようです。特に江戸で大火事が頻繁だった頃には、狼の持つ危険察知能力にちなみ、火災防止の意味合いも持つようになったようですね。それから、1858年から1862年にかけて、江戸の町を含む世界中でコレラが大流行し、多くの命が失われました。当時は、狐や狸に化かされたように急死する様に見え、妖怪の仕業と思われるようなこともあったみたいです。それで、狐や狸の天敵となる狼が、この病魔を打ち払うと信じられた。三峯神社の記録によれば、この時期、江戸の多くの人々が参拝し、御眷属様を拝借したそうです」
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