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 「えっ?!」  思わず大きな声をあげてしまった。今、そのものずばりの存在が現れたのだ。あれは、100年の時を生き続けた狼の化身なのか?  反応が大きすぎたためか、岡谷は目を丸くして池上を見つめた。  「いや、西洋では狼男というのは吸血鬼などと並んで有名なモンスターですが、日本でもそんな言い伝えがあるのでしょうか?」  池上が慌てて誤魔化すように質問した。  「あのようなタイプの怪物ではないでしょうが、古来より、狐憑きなどと同様に、狼に憑かれるというようなことがあったという伝承は散見されますね。ああ、そういえば……」  何かを思い出そうとして、岡谷が首を捻る。なかなか浮かんでこないようで、難しそうな表情になっていった。  「どうしました?」  「やはり祖母に聞いたことがあるんですが、どこの話だったかなぁ? 昔、長寿の狼が悪事を働く人間を食い殺してまわったそうです。その恐ろしさとともに正義感の強さに畏敬の念を抱いた人たちが、狼が死んだ後、神として崇めるようになった。また、その骨を焼いて削って、薬として利用したという話があったような……」  「それは、神奈川県内のことですか?」  「そうですね。祖母はずっと小田原の方に住んでいましたから。私も子供の頃はそうでした。あの辺りの山の方に伝わる伝承ではないでしょうか?」  何気なく立ち寄っただけの歴史博物館で、これほどいろいろな知識を得られるとは思わなかった。公的な学術施設はもっと評価されるべきだな、と改めて感じる池上。  岡谷に礼を言い、帰路につく頃には夕暮れになっていた。  狼信仰か……。  登り始めた月を見ながら、池上は何かが繋がっていくような思いに囚われる。だがそれは、どこか辛さを伴っていた。
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