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 「恭介さんっ!」  思わず声をあげていた。懐かしい。子供の頃は、よく遊んでもらった。陽奈が中学生の頃はすでに警察官になっていたが、たまに会いに来ていろいろな話をしてくれたし、こちらの悩みも聞いてくれた。  父とは違う。たぶん兄とも違うのだろう、不思議な存在。大きくて頼もしくて、とても立派に感じていた。あの頃の凜々しさが声の中にも感じられる。  「恭介さん、話がしたい。聞きたいことがいっぱいあるんです。お願い、顔を見せて」  訴えかける陽奈。  陽奈ちゃん、俺はもう、君の知っている草加恭介じゃあない。来てはいけない。すぐに帰りなさい。今は良いけど、気持ちが昂ぶってしまうと、自分が自分でなくなる。いや、人としての心は消える――。  「心が、消える?」  人ではない、もっと崇高で猛々しい存在に変わっていく。そして、悪を狩る。だけど、行く手を阻むものがいたら、それが誰であっても、容赦をしなくなる――。  やはり、あの秘薬のせいだ。あの時、私があんなにたくさんの秘薬を彼に飲ませたから、作用が大きすぎて……。  古来より伝わる伝説。千年以上前、平安の頃、(よわい)百を超える狼がこの地にいた。それは、山の神の化身とも呼ばれ、悪を憎んだ。少しでも悪意の匂いをかぎとると、その牙と爪でひき裂いた。  長い年月を経てその狼が死期を迎えた際、この地に散見された村の一つに赴き、その長老に自分を祀るように言った。長老はその命に従い、神社を造り自らが神官となった。それが、影狼神社の始まりだ。  その時同時に、自らの肉体、特に骨にはその意思の力が宿っているので、扱い方には注意をするように、とも言われたという。  詳細は父が持つ古文書に記されているらしい。おそらく、父はその内容を熟知し、代々の神職がどのようにその狼の肉体を扱ってきたのかも、知っているのだろう。  だが、陽奈はまだ知らなかった。ただあの秘薬に人の治癒能力を高める作用があることは伝え聞いており、それを咄嗟に大火傷をしていた草加に与えたのだ。
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