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草加が右手を上げて来るなと示した。一瞬、優しげな笑みを見せる。昔、一緒に遊んでくれた頃と同じ笑顔だ。
「陽奈ちゃん、来てはいけない。すぐに逃げるんだ」
草加が言った。今度は、きちんと口から発する声だった。
「恭介さん……」
首を振る草加。
「もしも……そう、もしも、俺のことを哀れに思ってくれるなら、怪物となった俺を滅してほしい。おそらく、その方法をお父さんは知っているだろう。でも、それは、非常に危険なことだ。俺が俺でなくなっていた場合、あなた達でも殺してしまうだろう。誰か、頼りになる人に依頼をしてくれ」
彼のその声を聞きながら、陽奈は涙を流していた。彼との思い出が、脳裏に蘇る。
「さあ、逃げるんだ、陽奈ちゃん。俺はこれから、これから……」
男達が銃を取り出した。そして草加に向ける。
「草加恭介。おとなしく一緒に来るんだ」
さっき陽奈を捕まえていた男が言った。だが、草加は全く気にしていない。陽奈を見ながら続ける。
「俺はこれから、こいつらを、狩る……」
最後の声は草加のものでありながら、そうでない何かの口調も含まれていた。強く、禍々しい何かが……。
「行けっ! 御厨陽奈っ!」
草加の名残が少しだけあるが、別の声が響く。その時、草加の顔の前に黒い霞のようなものがかかった。彼の顔が見えなくなる。そして、その闇の奥に、二つの紅く光る目。
陽奈は言われるままに駆け出した。ここにいてはいけない、という思いが唐突に浮かび上がり、彼女を突き動かす。
「待てっ!」と男の声が聞こえてきたが、追いかけては来ない。
一度だけ振り返る陽奈。草加の顔の前の霞がとれ、そこには異形の姿が現れた。
爛々と輝く紅い目。異様に突き出た鼻と口。そこからのぞく鋭い牙。手の先には刃物のような爪が燦めいている。
見てはいけない……。
陽奈は必死に山道を駈け降りていった。
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