気合

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気合

 三十分前、開場だ。四階なのに階段しかないことに文句を垂れながら、女子高生らしき集団がやってきた。麗奈の友達らしい。友達がきたことは、隣の部屋でもわかるだろう。緊張のピークかもしれない。  誰の知り合いなのかはわからないが、小学生の男の子を連れたお母さんがやってきた。子供は、ゲーム機を離さず、ずっと画面から目を離さない。本番中はやめてくれるんだろうな、とガキに向けて念を送ったがまったく効いていない。 「あ、大道具さん!」  と声をかけてきたのは志村裕子である。井上が呼んだのだ。 「今日はお手伝いですか?」  と訊かれ、俺が困った顔をしていると、井上が割って入ってきた。 「境さんは大道具さんじゃなくって、僕の尊敬する先輩であり、演出家」 「ええ、まじっすか」  大袈裟に謝る裕子を前にして、俺は緊張した。井上はともかく、血気盛んな研修生に、素人集団の芝居はどう目に映るのだろうか。 「勉強させてもらいます」  裕子はかしこまった態度を作り、いった。それが怖いんだってば、と思った。 「人が集まってきたな」  と、滝村先生が、のぞみと久義くんとを連れ立ってやってきた。裕子は緊張した顔で挨拶をした。 「ああ、観にきてくれたのか、ありがとうな」  と滝村先生は裕子を軽くあしらい、席に座った。 「滝村先生もいらっしゃるなんて、本格的なんですね」  裕子は滝村先生の背中を眺めながら、驚いていった。 「境先輩は滝村先生の愛弟子なんだよ」  井上がそう説明すると、裕子は俺を上から下まで眺めた。  平嶋さんが、おそるおそる入ってきた。 「ありがとうございます」  俺は平嶋さんを笑顔で迎えた。 「本当にすみませんでした……。みんなのお芝居観たくて」  下を向いたままの平嶋さんを、俺は席に誘う。  楽屋の様子を見ようと部屋を出てみると、吉田が所在無さげに立っていた。 「これ、どんくらいで終わるんすか」  挨拶もせず、吉田はいった。 「バイト抜けさせてもらったんで」  一時間もかからないよ、と俺はいって、吉田を部屋へ招いた。入り口にいた芳賀が驚いた顔をした。 「ひさしぶりだね」  芳賀がいうと、吉田は、首を少しだけ傾け、ども、といった。  どんな確執があろうと関係ない。俺はただの雇われ演出家だ。そんなことは俺のいないところでやってくれれば良い。  雨はやんだ。もしかしたら、終盤、と俺は心躍った。  隣の部屋にいくと、ちょうど良かった、と三浦さんが俺を手招きした。 「円陣を組もうと話していたんですよ」 「早く早く」  晴美が小声で俺を呼ぶ。俺も小さな円陣に加わった。 「せーの、セリフは大きく、はっきりと、楽しみましょうっ」  三浦さんがいった。緊張しているようで、らしからぬうわずった勢いだ。 「セリフは大きくはっきりと、楽しみます」  麗奈がいった。決意に燃えている。いい顔だ。 「セリフは大きくはっきりと、楽しめるかな……」  不安げに和田はいった。 「セリフは大きくはっきりと、楽しんじゃいますっ」  晴美が全員と目を合わせいった。一番芝居をしたいのは、こいつなんだ。 「セリフは大きくはっきりと……、『よし子様のお兄様がいらっしゃいましたけれど』」  片岡さんが緊張丸出しでいった。 「せーのっ」  おおっ! と俺以外の全員が大声を出した。 「隣にお客さんいるんだぞ」  俺が小声で文句をたれる。 「気合いが伝わって、きっといい感じです、先生」  晴美は小声でいった。  
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