幕がおりる

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幕がおりる

「良かったです」  吉田が俺に駆け寄ってきた。今にも泣き出しそうな顔をしている。 「ありがとう」  俺はいった。 「いいなあ、って」  吉田は舞台のほうを見ていった。ギャル集団が麗奈を囲んで騒いでいた。片岡さんも、押し花サークルの皆さんなのか、年配の女性たちと話していた。  俺と吉田の横を、ずっとゲームをしていた子供と親が通り過ぎた。俺は去って行く二人を目で追った。なにしに来たんだ、あいつら。 「うらやましいです」  吉田がいった。 「やろうよ」  俺はいった。 「文化祭、出演者が足りないんだ」  吉田は困った顔をして、それから、考えさせてください、といって出ていった。絶対あいつ、戻ってくるな、と俺は確信した。  平嶋さんがやってきて、俺に謝った。 「わたし、やっぱり、もう一度やりたいです」  俺はあの姑のことが頭に浮かんだ。 「大丈夫ですか」 「基礎トレーニングだけでも、受けたいです。発表会とか、出られないかもしれないけど。休むこともあるかもしれないけど……、駄目でしょうか」  勿論、と俺はいった。演劇を好きになってくれる人を一人でも多く作ることが、俺のここでの目標だ。  滝村先生とのぞみ、久義くんが帰るのを、俺と晴美が見送ろうとしたとき、志村裕子が近づいてきた。 「勉強させていただきました」  滝村先生に深くお辞儀をしていた。俺にいえよ、と思ったが、放っておいた。アピールしようと一所懸命の裕子を、晴美は醒めた目で眺めていた。嫌いなタイプなのだろう。 「ああ、卒公頑張れよ」  滝村先生にどうやら顔は認識されているらしい。 「わたし、井上さんの『冬物語』に出させていただいて……」 「すまん、それ観てないわ」  一刀両断。前のめりの裕子をざっくり切り捨て、滝村先生は去っていった。一瞬晴美の口元が緩むのが見えた。あの女は底意地が悪い。 「良かったです、とても」  井上がいった。 「良かった」  俺は心底安心した。 「晴美さん、やっぱり凄いです」  晴美以外は……訊かないでおこう。たしかに晴美のおかげで緊張感のある舞台になったのだ。足を向けては寝られない。家に帰ったらソファーの位置を動かそうか。 「秋にも公演をやるんですね」 「晴美は出るかわかんないけどね」 「なんでですか」 「そこまでは話になってない」  これが終わって、やっと次のことを考えることができる。 「なあ」  俺は井上にいった。 「打ち上げタダでいいから、荷物を劇団に持って帰るの手伝ってくんない?」  井上は、はい、といい声で答えた。こいつが皆に好かれるがよくわかった。
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