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ナルシスト野郎
帰りに駅前のコンビニに入り、缶コーヒーを買った。坊主頭の店員が俺をじろじろと眺めている。俺は怪訝な顔で店員を見返した。
「演劇センターの人ですか」
店員は俺に釣りを渡し、いった。
「大変でしょ、あそこ」
「なんで演劇センターってわかったんですか」
不気味だったので、思わず敬語で話した。能天気な音楽が店内ではかかっている。蛍光灯の明かりが、不穏だ。店には数人の客がいた。
「ま、いろいろね」
店員は曖昧に答え、薄気味悪く笑った。なんだお前、といい返そうとしたとき、俺の後ろに人が並んだので、諦め、そのまま店を出た。
「なんだあいつ」
態度の悪い店員なんて腐る程いるが、あんな目で見られるのは初めてのことだった。缶コーヒーをあけ、一口飲んだ。
駅のホームで電車を待っているとき、気づいた。あいつはトラブルメーカーでナルシスト野郎の吉田だ。髪の毛を剃っているから気づかなかった。
俺のことを、演劇センターのホームページででも見たのかもしれない。芳賀が懸命に毎週更新しており、先日も、「もっと自然に笑ってください」と写真を撮られたばかりだった。
グループで傲慢な態度をとり、皆にけむたがられた男。陰険な顔つきだった。いまはなにもしていないのだろうか。短いあいだだったが、実際に会ってみると、いけすかないというよりは気味が悪い。
あんな小さな集まりでも、人間関係でつまづいてしまう。
自分と重ね合わせるほどには好感を持てないのに、電車に乗っているあいだ、ずっと吉田の目が頭から離れなかった。
翌週、吉田と会ったことを話すと、芳賀は顔をしかめた。
「駅前のコンビニでレジしてました」
「また仕事変えたのか」
吉田は去年までスーパーで働いていたという。市民劇団の活動にのめり込み、会社勤めをしていたが、定時に仕事を終えることができず、稽古に参加できないからといって、会社を辞めてしまい、バイトを転々としていたそうだ。
「そんなにやる気あったんですか」
俺は半分呆れながらも感心した。このご時世で会社を辞めるなんて、もったいない。
「学生時代からやってたらしいんですが。やる気は人一倍ありましたよ。でも市民劇団だしねえ。いろんな人がいて、よくぶつかり合ってました。女の子を泣かせたりね」
映像で観た限り、たいした演技でもなかった。けれど、そんな話を聞いてしまっては、悪い奴とも思えなかった。
「まあ、いなくなっちゃった人ですから」
何気ない一言に、俺はひっかかった。辞めてしまえば、そこで終わり。勿論そうなのだけれど、自分もまた、辞めてしまえばそういわれてしまう。人ごととは思えなかった。
稽古終わりに、キャスティングを発表した。
主人公、二十四歳のあさ子は麗奈だ。
「うえー、やっぱり」
ババアな役、とでも思っているのかもしれない。そもそも登場人物に君の年頃の役があったかい、とマジレスするのもなんなので、配役発表を続けた。
あさ子の母、真紀、四十七歳は、平嶋さん。
「わたしと名前が一緒」
と平嶋さんはいった。気に入っているらしい。
あさ子に片思いをしている収、二十三歳は和田。
特になにもいわず、和田は神妙な顔で頷く。
あさ子の見合い相手、弘、三十三歳に三浦さん。
「三十年下だ」
三浦さんはまんざらでもなさそうな顔をした。
「女中さんはどうするんですか」
麗奈が訊いた。一瞬だけ出てくる、家の女中がいる。
「これは、声だけで処理しようかな、って思ってます」
俺はいった。
「来週から立ち稽古しますんで、そのつもりでいてください」
「台本持ってもいいですか」
麗奈が訊いた。
「できるだけ持たないようにして。台本あると思うと安心してなかなか覚えられないから」
嘗めてんじゃねえぞ、と喉からでかかった。なにせ始めたばかりだ。不安も多いだろう。
「覚えるこつ、とかないんですかねえ」
和田が不安げに訊いた。
「人それぞれ、いろんなやり方があるから、次の稽古まで試してみてください。書いて覚えるとか、レコーダーに吹き込んでずっと聴く、みたいな人もいますけど。いろいろ試してみて」
和田の困った顔はほぐれなかった。わからなくもない。こんな回答は求めていないのだろう。しかし誰にでも通用する方法なんてない。
三浦さんはにやついている。台本を貰った当初は自分がやれる役がない、といって嘆いていたくせに大したもんだ。若い男を演じることが嬉しいのかもしれない。
平嶋さんは、真剣な表情で台本を眺めていた。
メジャーで部屋の寸法を測り、セットを考えなくてはならない。簡素な洋間という設定だ。完璧に作ることなどできやしない。出はけの入り口を作り、黒布で覆うしかない。
部屋の奥の窓から見渡せる夕暮れの市街は、しんみりとさせられる。点々とつきはじめた街灯は、まだ所在無さげで、光はまだ、夕陽に気を使っているみたいだ。
この景色をバックに芝居を上演するのは、素敵な気がした。
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