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1話
ひらひらと舞うものがある。
鮮やかな青を称えた一匹の蝶々だ。
いつも不思議に思うけれど、なんであの蝶々からは音がしないのだろうか。
ただ無音でひらひらと舞うばかりで、瞬きした途端に消えてしまう青い幻みたい。
「文さん? どうかしましたか?」
先生が板書を止めてこちらに向き直る。
ぼんやりと窓の外を眺めていたのがばれてしまったようだ。教室中の目が黒板から離れ、何事かと私に注目する。
「あ、その……」
とっさに、答えたくないと思ってしまった。もっとあの不思議な青い蝶々を眺めていたい、と。
私がここで答えようと答えまいと、どうせすぐに見つかってしまうのだから、返答を躊躇ったところで意味なんか無いのに。
案の定、先生はすぐに窓の外に青い蝶々がいるのを発見する。さっと先生の顔が変わった。
まず、眼窩から眼球が飛び出した。眼球はそれぞれ別の方向に百八十度くるくると回り出す。他の危険がないか、あの青い蝶々以外に何か不審なものがないかと探しているのだ。
次にがくんとアゴが外れる。危険信号を広範囲に発信するためだ。普段はわからないようになっているけれど、口から耳の辺りまで入っている切れ込みが露わになり、そこからがくんと、口の下半分が胸の辺りまで降下した。
小学校で学ぶ程度の知識だからこのくらいのことなら知ってはいるし何度と無く見ているけれど、目にする度にギョッとしてしまう。
無音の信号をキャッチした巡回中の小型警備ドローンがやって来て、逃げる素振りも見せない青い蝶々を簡単に捕まえ、自爆する。飛び散る破片と爆音に、いつ見てもやり過ぎなんじゃないかと思う。けれど、リョウが言うには、得体の知れないものに対してはやり過ぎくらいの警戒が必要なんだそうだ。
得体の知れない、まあ確かに、あの蝶々は得体が知れない。飛行しているのに音がしないし。そもそもどこから来たのかも、なんの目的で来たのかも、わからない。
粉々になったドローンと蝶々は、駆けつけた清掃員によって片付けられてしまった。
「授業を続けます」
顔を戻した先生は、何事もなかったかのように教科書を読み上げ、板書した数式についての解説を始める。
いつもの教室に戻っていた。
もう誰も私のことなど見ていない。ノートをとるか、教科書に目を落とすか、先生のことを見るか、だ。
私は、未練がましくちらりとだけ外に目を向けてから、黒板の数式をノートに書き写す。
昔々、人間が大量に、それこそアンドロイドよりもたくさんいた頃があった、らしい。
夢のような本当の話。『事実は小説よりも奇なり』っていう言葉があるけれど、それはまさにこの事だと思う。
増えて増えて限界まで増えまくった人間は、いきなり絶滅した。
昔々の人間たちはいきなり絶滅した恐竜たちについて、隕石やら天変地異やらと解釈していたそうだが、人間が滅んだ理由については聞いたことがない。
まだ習うタイミングではないだけなのか、原因がハッキリしていないのか、ハッキリしているけれど知ってはいけない、考えてはいけない領域のことなのか……。
気にはなるけど、先生や両親に尋ねてみたことはなかった。
昔々の人間が発明した言葉の中には、『好奇心は猫をも殺す』というものもあるけれど、これは私たちアンドロイドにも十分当てはまる。
あまりにもプログラムからはみ出し過ぎた思考は、故障とみなされて処分されてしまうのだ。今まで、高校二年生になるまでの十七年間で、私は三回、故障ということにされてアンドロイドが破壊されるのを見たことがある。
最初の一人は同級生。
次の一人は通りがかりのおじさん。
最後の一人はなんと先生だった。
余計なことは考えてはいけない。考えているということがばれてはいけない。
そんなことは重々承知なはずなんだけど、それでも考えずにはいられなかった。
――なんでなんだろう?
答えの出ない問いのせいで、頭がくらくらする。誤魔化すように窓の外へ目を向けるけれど、唯一答えてくれそうな青い蝶々は、どこにも見当たらない。
――私たちは、なんでこんな、とっくに滅んだ人間の真似事なんか続けてるんだろう?
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