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北極星
少年は、光を見た。青年は、過去を見た。
ネッド少年と乗組員Cは視線を合わせながら、めちゃくちゃなワルツを踊りきった。コンセイユの懸命な拍手の後、ネモ船長は立ち上がり拍手をする。
「C、指導してやってくれ」
羞恥心で自分を律することがやっとの少年に、厳しい言葉が突き刺さる。赤面を船長に向けると、彼は帽子を深くかぶり直し、サロンを後にした。コンセイユは見ていた。ネモ船長が腕を上げた瞬間、口元が綻ぶのを。
あの舞踏会から2日後。
ノーチラス号はインテガ海の中心から離れ、西の砂漠と神話の国、エルトゥス目指して深海から空気の充填の為に浮上しつつ進んでいた。
少年はどうしているかというと、船長の指示通り、乗組員Cにパイプオルガン演奏とワルツのステップを指導されているのだ。
ネッド少年はさほど芸術に興味は無かった。狩猟の時間で、捕獲したり銛で仕留めた魚で食事をするのがノーチラス号での楽しみであった。しかし、白銀の青年の微笑みを見る度に、もう少しだけやってみたいという強い意志が生まれて弾ける。だから、努力し続けられるのだ。
息を弾ませ、ソファに横たわるとコンセイユが腹の上に乗る。コンセイユの頭を撫でながら気紛れに尋ねてみた。
「Cさんは何が一番好きなんですか?」
乗組員Cは口を開かない。絨毯が敷かれ、タペストリーの飾られたサロンには、彼と意思疎通ができる壁が無いのだ。紙とペンを用意してみたが、乗組員Cは首を横に振る。
「音楽ですか?それとも、料理でしょうか?」
深く考え込み、小さく首を横に降る。好きであるが、一番では無いようだ。少年が体勢を変え、ソファに座り直すとコンセイユが腕の中で眠り始めた。
「僕、部屋に戻りますね」
ネッド少年がコンセイユを抱きしめ、サロンを後にしようと入り口で振り返ると、白銀の青年は天を指差していた。
「これから浮上する。外の空気を吸うこともできるが、どうするかね」
螺旋階段を降りてきたネモ船長に声をかけられた。サロンに僕らがいるのを知っていて、呼びにきたのだろう。乗組員Cを呼びに行こうと入り口まで戻るが、見当たらない。
「彼には重要な任務に従事することになっている。気にしなくて良い」
いつものように後ろで腕を組み、少年たちの答えを待つ。
「では、行きたいです」
「ぴい」
歩幅の違う二人とコンセイユは足音をたて、螺旋階段を上り、鋼鉄の壁の先、一段と分厚い扉の前に立つ。
紅いドアの真ん中には金色で『MOBILIS IN MOBILI』と書かれていた。
「『変化をもって変化する』?」
ラヴィジ語で書かれた文字を読み上げると、船長は鋭い表情を変えることなく少年の瞳を見つめる。
「いつかまた読み返すと良い」
正しい答えではないらしい。いつか、はいつ来るのであろうか。
少年が考え続けていると、ドアが独りでに開いた。コンセイユが一番に、続いて少年、最後にネモ船長が潮風を受け止めた。久々の新鮮な空気だ!
見渡す限り続く海面と、頭上に永遠を描く星空に、思わず息を飲んだ。
インテガの港では見ることのできない、山脈や人々にも邪魔されない世界。澄み切った潮風を身に受け、大きく息を吸い込む。足元に視線を下ろすと、眠るように波に揺れるノーチラス号の体を三日月が照らしていた。
ネモ船長は船内からカバンを持ち出すと、閉じられた扉に寄りかかりカバンのがま口を開ける。扇形の器具と懐中時計を中から取り出すと、扇形の板に取り付けられた筒を覗き込んだ。
「それは何ですか?」
少年が尋ねると、波と戯れていたコンセイユも同じように「ぴい?」と疑問を抱き鳴いた。彼は筒から目を離す。
「これは六分儀だ。百年ほど前から使われている、現在地を推定する為の道具だ」
「つまり、現在地を調べているのですね」
船長は「そうだ」と一言答えると、再び筒を覗き込んだ。星を見て調べているのだろうか。少年は計測方法が気になったが、難解そうなので質問を躊躇い、諦めた。
沈黙が潮風を一層冷たくさせる。耐えきれず、ネッド少年は別の質問を投げかける。
「船長、あの中央に大きく眩しく輝く星は何ですか?」
示した指の先をネモ船長は見つめた。
「少年は何だと思うね?」
質問に質問で返され、思わず「え?」と困惑するが、頭を捻り答える。
「僕は、北極星だと思います。確か昔、母さんが教えてくれました」
「そうだ。あの星はこぐま座ポラリスと呼ばれている2等星。北の空の星はあれを中心に回転しているように見えるのだ」
「昔から人々は北極星を目印に航海をしているんですよね」
ネッド少年は、幼い頃母親に教えてもらった航海の知識を思い出した。
母親は海が好きであった。昔から好きだったのか、それとも海軍の乗組員の父親の影響で好きになったのかは分からない。ただ、何度もインテガの海に連れて行ってもらい、共に波と戯れていた。しかし、父親が遺した僅かな財産も尽き、彼女は幼い少年を養う為、働くようになった。それに伴い、次第に海に行く機会も減っていた。ああ、母親に会いたい。大好きな海を見せてあげたい。
不意に涙が零れた。少年は瞼を擦り、涙を拭う。その手をネモ船長が掴んだ。叱られる、と思い身構えるが、波の音しか聞こえない。彼はネッド少年の小さな手を開かせると、白いハンカチを握らせた。
「星は何であるか?」
「星は光です。暗闇を照らす光です」
船長は帽子を深く被り直すと、頷く。
「太陽の光を受け輝く星もあれば、自らを燃やし輝く星もある。どちらも同じ、輝く星であることに変わりは無い」
そう言い残すと、船内へと姿を消した。少年は船長の言葉を心の中で繰り返し、再び星を見た。
少年は、光を見た。
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