狩猟

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狩猟

暫く座り込んでいると、コンセイユが目を覚ました。辺りを見渡すと、大きく泡を吹き、ネッド少年を見つめて一声鳴く。鋼鉄の潜水服に身を包んだ少年に甘え、ぴったりと引っ付いた。 「では、行くぞ」 ネモ船長は銃身を杖代わりに突き、立ち上がった。遅れを取らないよう、二人も立ち上がり、後を追いかける。砂を巻き上げ、徐々に光が薄れ息を潜めてしまうほど静かな視界の先を歩く船長を追い続けると、眼前に海藻の森が現れた。海藻は少年よりもはるかに大きく、海面に飛び出すほど長い。 「この海藻はなんて言うんですか?」 ネッド少年は立ち止まった船長に声をかける。 「オオバモクだ。もさもさと毛が生えたように枝分かれしているのが特徴で、大きさは20㎝から6mにもなる」 なるほど。このオオバモクが最大の6mだとすると、ここは水深10mほどであろうか。 ネッド少年は水深2mまで生身で潜ることが可能である。その5倍ともなると、水圧によって体が押しつぶされてしまっていただろう。潜水服の技術力の高さやノーチラス号の素晴らしさを、少年はその身に感じていた。 ネモ船長が右肩の盾のようなプレートの下から刃物を取り出すと、30㎝ほどの大きさのオオバモクを数十枚、収穫籠に詰めた。少年も真似をしてプレートの下を探ると、刃物が見つかった。なるべく小ぶりのオオバモクを探していると、先にコンセイユが見つけて教えてくれる。 「よしよし、えらいぞ」 ネッド少年が頭を撫でると、コンセイユは喜び次々と探し出してくれる。 中にはオオバモクではなく、小さな棘が生えたような姿をしたバラノリや、ボウルのような葉が生えたワンガサなど、同じ30㎝ほどの長さだが違う種類の海藻を探し出してくれた。 「少年、採取に夢中になるのはいいが、油断はするなよ」 そう言いながらも、進んで海藻の種類を教えてくれるネモ船長の側を離れないように歩く。コンセイユも船長に種類を教えてもらうのが楽しいのか、先に進んでは海藻を咥えて戻って来て、また海藻を探しに行くのだ。 「ネモ船長、海底散策は楽しいですね」 「散策ではない。これは狩猟だ」 海藻の森を手で掻き分け、少年の方を向くことなく言い放つ。 何分も歩き続けコンセイユも飽き始めた頃、拓けた場所に出た。砂地に岩場の山。地面には複数の大きな穴が空いており、深淵がこちらを覗いていた。 「ここは海の主の寝床ですか?」 冗談交じりに尋ねてみる。冗談が通じる相手では無いと分かっていたが、そう尋ねてみたくなるほど大きな穴が真ん中に空いていたのだ。 「そうだな、そんなところだ」 「へえ」と返事をすると、少年は首を傾げる。ネモ船長はこんなに友好的な男であったか。 「少年、君はここで待っていなさい。コンセイユもだ」 突然置いて行くなどと言われ困惑の表情を見せると、船長は続けて言った。 「これからコンジキクモガニの抜け殻を拾いに行く。主は留守だとは思うが、念のためだ。待っていなさい」 刃物を右手に持ち、深淵へと歩みを進める。少年は、その背中を眺めることはできなかった。幼い頃の記憶を思い出したからである。 明け方、玄関のドアを大きく放ち、旅立つ父親らしき男の背中と、ネモ船長の背中を重ねていたのだ。 気付かれぬよう、恐怖の暗闇へと歩き出す。コンセイユも静かに付いてきている。船長は穴を降りると、ヘルメットの上部に付いたライトを点けると、まっすぐ歩き続ける。少年はライトは点けずに、船長の明かりを頼りに歩く。さほど歩いていないが、小さな洞窟に行き着いた。その中には、ライトで反射し、光り輝くものがあった。 これがコンジキクモガニの抜け殻か!なんて眩ゆい光を放つのだろう。その名の通り金色に輝いているが、船長が明かりの角度を変えると、太陽の光のように七色の光の玉が壁に当たる。 暫く、船長もネッド少年もコンセイユも見惚れていた。そして、来た道を帰り、穴から這い出た。 「待っていたのだな」 「はい」 少年が答えると、ネモ船長は首を振る。 いち早く気付いたのは、コンセイユであった。彼は海面向かって高く上り、少年達が見えないほど遠くへ、素早く泳ぐ。 少年が振り返ると、またしても巨大な影が伸びているのだ! 大きなヒゲとハサミを携え、多くの足で海底を走る。深い緑色であまり美味しくはなさそうだが、その姿はカニ、おそらくコンジキクモガニである。 「船長、銃を!」 二度とやられてたまるかと、電気銃を構え引き金に指を掛ける。呼吸を整え、奴の腹に目標をつけると引き金を引く。一気に空気圧を放出し銃弾が腹に命中した。 「やったぞ!」 コンジキクモガニはよろめき倒れる。その瞬間、奴はシャコのように泡を切り、間合いを詰めてきたのだ!もう一度銃を構える間も無く、鋭いハサミが眼中に飛び込んできた。少年が大粒の汗を流すと、鋼鉄の鎧がコンジキクモガニとの間に割って入る。ネモ船長だ! 「少年、奴に銃は効かない。その身を砕けるのは奴のみだ!」 苦しそうに呻きながら船長は耐え続ける。少年は身をかわし、彼が抑えている巨体の関節にナイフを刺してみせた。奴が怯んだ隙にネモ船長を近くの岩場まで引きずる。 「大丈夫ですか?」 船長は小さく頷いたが、息苦しそうであった。早くノーチラス号に戻らねば、船長の命は保たないであろう。 ああ、コンセイユ!君がいてくれたら僕は戦えるのに! 強く願ったとき、コンジキクモガニの背後からコンセイユが現れたのだ。泡を弾ませ、恐怖に牙を向けているが、間違いなくコンセイユである! 「コンセイユ、僕に考えがある。怖いかもしれないけれど、力を貸してくれ!」 コンセイユは大きく頷くと、コンジキクモガニの周りを泳ぎまわり、撹乱作戦を始めた。囮になってくれているその間に、銃に弾を装填し直し、ネモ船長が持ち帰った大きなハサミの抜け殻を銃に被せる。ネッド少年は、重い抜け殻を持ちながら珊瑚や藻の生えていなさそうな岩場に登り、叫ぶ。 「コンセイユ、僕に向けて誘き寄せてくれ!」 電気銃の引き金に指を構え、大きく見開く。来い! コンセイユが頭上を通過する。まだだ、もう少しで…。 思惑通り、コンジキクモガニは素早く身を縮め、瞬時に飛び出す。奴がハサミを突き出す前に身を屈め、攻撃をかわす。腹が露わになったその瞬間、抜け殻のハサミの先を向けると、奴は自身の勢いに負けズブズブとハサミを、銃身をも呑み込んだ。 しめた!引き金を引き、弾を撃ち込む。装填し直し、もう一度撃ち込むとコンジキクモガニは動かなくなった。 4f2443de-d97e-44b4-8e06-3943cb3d3437 「ネモ船長、巨大ガニを倒しました」 船長が意識を取り戻し、辺りを見渡すと巨大ガニと金色に輝く抜け殻が海底に横たわっていた。コンジキクモガニをよく見ると、脱皮後の深緑が赤色に変わっている。ネッド少年が倒したのか。 「よくやった。怪我はないか」 「僕もコンセイユも大丈夫です。でも船長が…」 コンセイユが「ぴいぴい」と鳴く。怪我をした彼を心配しているのだ。 「まさか君たちに助けられるとは思わなかった。何故逃げなかった?」 ネッド少年の肩を借りながらゆっくりと立ち上がりながら、船長は言う。 少年は考え込み暫く口を噤んだが、父の背中を思い返し口を開いた。 「船長に訊きたいことが沢山あるからです」 ネモ船長が間を置き、言った。 「ならば、最期まで付いてきなさい。そのうち、知りたいことは全て分かるだろう」 と。 ロープを取り出し、コンジキクモガニを慣れた手つきで縛ると、小さく笑った。 「久々のご馳走だ。Cも喜ぶぞ」 ノーチラス号に帰ると、乗組員Cが心配そうに出迎えた。ネッド少年に近寄ると、よくやったと言わんばかりに頭を撫でる。 彼らは、何を知っているのだろう。不思議は後を絶たないが、とにかく、ネッド少年とコンセイユの長い一日が終わった。
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