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願いの温度
願いの温度
昔から、願いってモノが大嫌いだった。
あれは怠惰の象徴だ。
努力を諦めた奴がすることだろう。
そんなふうに吐き捨てたことがある。
「みんな、それくらい強ければよかったのにね……」
そう言う神さんは、何処か悲しげな表情をしていた。
その表情に、居心地が悪くなった。
「そうなったら、あんたは必要なくなるんじゃないのか?」
だから、普段使わない気を遣ってしまって、慣れない言葉を使った。
こんな気の遣い方しかできない自分。気を遣った自分に嫌気が差す。
でも、神さんは、それでもやっぱり悲しげな顔のままだった。
夏終りの風が吹き抜けた。
神さんは、近所の山に居る。居座っている。
登るのに10分程掛かるようなそこそこの山の頂上には小さな鳥居があった。御神体か知らないが、石塚には酒が備えられている。
そこは俺の毎朝のトレーニングコースの一部だった。
「はっ。はっ」
息を切らしながら、階段を登りきる。それなりにしんどいが、体力作りのためだ。同じ運動部の連中には負けたくなかった。
「およっ。また来たのね。毎日、御苦労御苦労~」
そう声を掛けてきたのは神さん。所謂、神様だ。
見た目は俺と同じくらいの年齢。中学生くらい。多めに見ても高校生だ。
その見てくれ中学生の神さんは──
「ぷはー!朝っぱらから酒飲むのら、たまらんね!」
朝から飲んでいた。俺にも分かる。こいつはたぶん良くない神だ。ダメ神ってやつにしか思えない。
おまけに、何故か服装はセーラー服だわ、髪はポニーテールにしてるわで、若々しいことこの上無い風貌だ。酒瓶が隣にあるのは、犯罪臭が否めない。
端的に纏めればシュール。違和感しかない。
「キミも飲もーよ!」
そんな彼女と話せるのは俺だけで。勿論見えるのも俺だけで。ついでに触れられるのも俺だけだった。
「いや、俺は高校生で、未成年だって言ってるだろうが」
「つれないなぁ!」
「おわっ、やめ」
酔った神さんがこちらを押し倒して、酒瓶を押し付けてくる。
「つれないなぁ~つれないなぁ~」
「このっ、くそ酔っぱらいが!」
膝を使って、蹴り飛ばす。無論、見てくれが女の子だから加減はしている。
「むー」
だが、そんな加減は、空中をふわふわと浮くことができる彼女としては無用の気遣いというやつかもしれない。
彼女は膨れっ面になりながら、すいっと石塚の上に降り立つ。
「ならばならば」
昔話をしよう、と。
神さんはそう話を始めた。
「いや、それもう何十回も聞いて───」
「祀られれば、人が神になるなんて造作もない!」
聞いてないし。その結論だけだと意味不明な感じが酷い。
何よりも、だ。
「いや、そんな簡単じゃないだろ。そんなら今頃神様だらけだよ。馬鹿なの?」
「うるさいですぅー!そんなんだから、友達の一人や居ないんじゃないの」
言いやがった。人が気にしてることをわざわざ言いやがったぞ、こいつ。
むかっとしながら、俺は皮肉を込めて言う。
「余計なお世話だよ、『疫病神』さんよ」
「誰が疫病神ですって!?祟るわよ」
「祟るんじゃねーかよ。やっぱ疫病神じゃねーか」
「細かいこと気にしないの。そんなんだから、モテないんでしょ」
「るっせーよ、それ関係ないだろ」
関係ないよな?関係ないって誰か言ってくれ。
「そんなことより。私が神になるまでの話を聞きなさいよ。平伏して、有り難く聞きなさい」
いや、だから聞いたことあるし。というか、今さらっと、そんなことよりって流されたな……。
ぼそぼそと文句を垂れ流す俺を横目に、小高い岩の塚の上に居座り、彼女は語り始める。
要約すると、こうだ。
昔々。あるところに天才が居た。所謂、神童というやつだ。
その神童は、三月も経たないうちに人の言葉を介し、二つの足で走り出していた。一年も経つ頃には、単純な計算はおろか、大人も顔負けな知識を持っていた。
それに、それだけではなかった。
ある種の、異能も使えたのだ。
祈れば、雨が降る。祈れば、作物が育つ。祈れば、敵が退く。
そんなことを繰り返すうちに、彼女は祀り立てられた。神として扱われた。
そうして、彼女は神になった。
「私はね。そんなに高い身分の産まれどころか、最底辺の身分の産まれだったから、不自由ない生活は純粋に助かったね」
そう彼女は振り返る。
数百年も前の出来事を振り返る。
「でさでさ。キミは何かお願いしないの?この偉大で、万能で、全能な私に!」
これは毎度のことだ。
彼女は、俺の願いを聞きたがる。叶えたがる。
「無いよ。そんなもの」
休憩も済んだ。そろそろ下山をしなければ、学校に遅れる。
「それじゃ、また」
「またねまたね、また明日ね~」
両手を大きく降って、神さんは跳び跳ねていた。
願いが嫌いな人と、願いを叶えたい神様の二人。それなりに楽しく。それなりに騒々しい日々。
それでも、それだけだった。
『疫病神』。
この言葉を彼女が何処まで気にしているかは分からない。
俺はこの言葉の意味を知っていた。
彼女にとっての意味を。
それでも、この言葉を当たり前のように、俺が使うのは居心地が悪いから。
良くも悪くも気を遣わない。そうあるべきだと、そうあるべき関係だと、そうしたい関係であると彼女を認めているからだ。
一年ほど前から続くこの関係には、名前なんて未だに無いけれど。そう、思うのだ。
半年前のことだ。
神さんが俺に幾度と無く話した内容は、それなりに有名な伝説だった。それこそ地元に住むやつは大抵知るような。
問題は、その話の後を記した記録が自宅の倉から見つかったこと。
問題のその後について、長ったるい話をするのは嫌だから纏める。
そこにあったのは、悪口だった。好評でも、感謝でも、敬いでもなく、悪口だ。
当たり前、と言うのは残酷だろうか。
彼女の産まれの身分が下だったのが原因なのだと思う。
自分にできないことを、当たり前にできて。
誰よりも下の人間に、追い越されて。
疫病神。そう罵る気持ち。
彼女が有能であればあるほど、悪口は激化する。
同じ人間として見たくないから。自分が劣っていないと、正当な理由が欲しいから。
だから、彼女は祀られた。
神様にされたんだ。
神様だから、当たり前。そう溜飲を下げるための、そのためだけの立場。
『昔から、願いってモノが大嫌いだった。あれは怠惰の象徴だ。努力を諦めた奴がすることだろう』
彼女と出会ってしばらくの頃に、そんなふうに吐き捨てたことがある。
『みんな、それくらい強ければよかったのにね……』
そう悲しげに答えた彼女がやけに脳裏に焼き付いていて、その理由が分かった。
結局のところ、「人間」としての神さんを本当に受け入れた人は居なかったようだった。
そして、最後には誰も彼女の元には……。
彼女にとって、願いを叶えるのは義務であり、存在価値だ。有能であることを強いられている。だから、俺の願いを聞こうとする。
そうすることでしか、他者と関わったことが無いのだろう。
何か、堪らなくなる。
俺に何ができるのだろう。
俺は何がしたいのだろう。
そう考えてみて、一つだけ思い付いた。
「なぇ。神さん、お願いがあるんだ」
「およ?キミがお願いだなんて珍しいね。明日は雪かな?」
「はぁ、茶化すなよ……」
彼女を神様と呼ばずに、神さんと呼ぶのは対等で居たいから。
彼女の居る場所に何だかんだぼやきながらも来てしまうのは、彼女と一緒に居るのが楽しいから。
だから、きっと。俺の願いは──。
「俺と友達になってくれないかな?」
そう言って、右手を差し出した。手を伸ばした。
願いというものは、手を伸ばして、手を伸ばす努力をしてするものだ。
だけど、願いから始まる努力もきっと悪くはないのだ。今はそう思う。
暖かな温度を掌に感じた。
「喜んで!」
彼女は、笑いながら涙を流していた。
きっと、この願いの温度はきっと冷めずに、どこまでも。
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