縁切り神社

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  美里が旅行に誘ってくれたのは、私が泥沼の離婚劇を終わらせた、ちょうど三ヶ月後のことだった。 「有名な縁切り神社があるからそこ行こうよ」 「もう、切れたよ」 「いいから、いいから」   壮絶な離婚劇を終わらせることができたのは、美里のおかげだったから渋々承知した。 「千夏、しがみつくだけ辛くなるから手放しちゃいなよ」   美里がそう言わなかったら、私は今も別れた夫の文則と無視といさかいの日々を繰り返したことだろう。 「他に好きな人ができた」   これだけだったら良かったのだ。けれど、塗り重ねられた嘘を少しずつ剥がしていくうちに、十年の結婚生活がなんだったのか分からなくなっていったのだ。 「ねえ、千夏、あれだよ! あの石にこの御札をくっつければいいんだって!」   大きな岩のような石だった。もう自分の御札を貼る余裕はないくらい、びっしりと毛が生えているかのように御札が貼られていた。世の中にはこんなにも切りたいと切望する悪縁にあふれているらしい。風が吹くと御札は揺れて、シャラシャラと音を立てた。どこか滑稽にさえ思えてくる。 「はいはい。美里には切りたい悪縁ないの?」 「私はないかな」 「連れてきといて私だけって」 「まあまあ、いいから、御利益あるらしいから」   私は自分の名前と元夫、文則との悪縁が切れますようにと書いた御札を持ち、美里が指さした石に近づいた。遠くから見たときは感じなかったのに、近くで見ると、他の御札に書かれた文字の筆跡の一つ一つに何か怨念じみたものを感じて、少し肌寒くなった。 「これで、本当に切れたらいいのにな」   心からそう言った。まだ、自分のなかでは切れてなかったんだなと思えた。 「絶対切れるよ。千夏はがんばったよ」   結婚当初、私は欲しかったのに文則は子どもはいらないと言った。何度話し合っても、そうだったから、私は子どもをもつことを諦めた。けれど、半年前、文則に離婚したいと言われてから、どうやら文則の気持ちは変わったのだということが分かった。   他にいる好きな人を興信所を使って調べた所、信じられない事実が発覚した。   浮気相手は文則の子どもを妊娠していたのだ。 「信じられない。私は文則が子どもはいらないって言ったから何度も諦めたのに」 「ごめん」 「私、中絶だってした。ねえ、その子にもそう言えるでしょう?」 「ごめん」 「離婚は絶対しないから」   私は数々の呪いの言葉を、文則にだけでなく、友人知人に吐きまくっていた。私は悪くない。絶対に悪くない。悪いのは文則なのにどうして、私が邪魔者にならなければいけないの?    ずっと文則と二人で生きていくつもりだったのに。   私だって子どもが欲しかったのに。   私はもっとも醜い自分になった。   自分の知らない自分になった。   それを止めてくれたのが美里だった。 「別れちゃいな。千夏は悪くない。悪くないけど、千夏が壊れてくの私、これ以上見てらんないよ」   美里は会うたびにそう言った。そのたび私は何度を呪いの言葉を吐いた。それでも美里は私に何度も会ってくれた。   離婚を決めたのは踏ん切りがついたからではない。美里まで失ってしまうことになりそうで怖くなったからだ。もっとも醜い自分では美里を失ってしまうと思ったからだ。   まだ、私の心には嵐のような憎しみと悲しみと怒りが吹き荒れていて、とてもこの感情から自分が離れて行ける日が来るとは思えなくて苦しい。   どうにか貼る場所を決めて御札を貼った。  そんな私を見て美里は満足そうに頷いた。 「どうして、私がここに連れてきたか分かる?」 「御利益があるから? じゃないの?」 「それもあるけど。私ここに来るの初めてじゃないんだ。私はね、自分の名前を書いたんじゃなくて、自分の名前を書かれているのを見つけたんだ」 「そんな、まさか……。もしかして……あのころ?」 「そう。だから、千夏には名前を書く方でいて欲しいなって思ったんだよね」   美里は一番醜い自分になったことがあるのだろうか?   それからは無言で砂利を踏む音を聞きながら、二人で拝殿に向かい、参拝した。 ーー神様、どうかお願いです。  早くこの感情から解放してくださいーー   あったかもしれない未来を思うとつらい。忘れることなんて決してないだろう。 それでも、いつかは笑えるだろうか?   神様から返事なんてないけれど、ざあっと風が吹いて私の頬を撫でていった。   了  
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