お客様は神様

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「ああ、お許しください!」  あの日以来バイトに顔を出すのが億劫(おっくう)な私だったが、入口の前に立つと中から店長の悲痛な叫びが聞こえてきた。何事かと私は慌てて中に入った。 「なんだあ、この嬢ちゃんは?」  店内では3人の男が言い争っていた。店長とこの間のチンピラ、そして声の主は両腕にイレズミがたっぷりの、堅気でない人物だった。 「親分、こいつです! 俺にイチャモンをつけてきたのは!」  チンピラが嬉々として、親分と呼ぶ男へ報告した。堅気でない男は舌なめずりして私を上から下まで視線を這わせた。 「お客様、どうかお許しを!」 「店長、この方たちはどうしたんですか!?」  私は状況が飲み込めず店長に尋ねてみた。しかし答えたのはイレズミ男だった。 「この前お前たちが騒いだせいでよぉ、こいつの顔が世間に出回っててよぉ、えらい迷惑を被ってんだよ。俺たちの世界では評判が全てだからよぉ。かわいい後輩の顔に泥塗られちゃ、組のメンツにかかわるってもんよ。お詫びに慰謝料払ってもらおうと思ってな」  ドスの効いた声で用件を言い終えると、ヤクザの男はニンマリと黄色い歯を剥き出した。 「そ、そんなの知りませんよ!」  私は怖さを隠すように語気を強めたつもりだったが、声は震えていた。 「じゃあしかたねえなぁ、金を払えないってんなら、この嬢ちゃんをちょっと借りるぜ」  言うが早いか男はガッと私の腕を掴んだ。 「ああ、そんな。お客様。それだけはどうかご容赦を。お金はあげますから。……神様、怒りをお鎮めください!」 「うるせえ!」  ヤクザはカウンターに並んでいたコップを掴むと、店長に向かって投げつけた。コップがカーンと音を立てて見事に店長の額に命中すると、店長はカウンターの下へと沈んでいった。 「じゃあ、行こうか嬢ちゃん」  ヤクザが私を店の奥に引っ張って行こうとすると、今度はどこからかコップが飛んできてヤクザの額に当たり、先ほどと同様の音を立てて転がった。彼は一瞬呻いて額を押さえたが、すぐさま周囲を見回した。 「誰だコラ」  私も何事かと顔を上げたが、すぐさま 「ヒッ」  と声を漏らしてその場に(うずくま)った。それからすぐに地面が揺れ始めた。 「じ、地震か!?」  ヤクザは相変わらずキョロキョロしているが、私は再び恐る恐る彼の背後に目を遣った。そこには身の丈九尺、立派な(ひげ)を垂らした大男が青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)を振り上げている。その顔はこれでもかというくらい眉間に皺を寄せ、まさに鬼の形相よろしく顔を赤らめている。 「ああ、神様、お願いです! どうかお許しください! 怒りを鎮めてください!」  いつの間にか意識を取り戻した店長が叫び始めたが、大男は構わずバットをスイングするように刀を振り切った。刀の側面が触れた途端、ヤクザの男は勢いよく店のガラス戸を突き破って飛ばされていき、やがて見えなくなった。子分は何が起こったのか理解できずしばらく口を開けて突っ立っていたが、慌てて後を追って出て行った。  店長は平伏し、私はただ畏怖の念をもって目を伏せているしかなかった。  関羽(かんう)(あざな)は雲長。三国時代の人。劉備(りゅうび)張飛(ちょうひ)とともに義兄弟の契りを結び、漢王朝再興のために奔走した。義に厚い人物として人気を博す。また、現代では商売の神様としても(あが)められている。
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