猫耳はどうせ見えない 7

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 猫が猫舌とは、限りませんよ。  特にこの時期は、暖かい飲み物が恋しいですからね。  私は猫だ。(よわい)にして2歳。  「伊端 珠(イバタ タマ)」という名前で女子高生に化け、人間と一緒に学校に通っている。理由は、楽しそうだから。  すっかり寒くなってきましたね。  人間の姿とはいえ、猫の身体に寒さはこたえます。いつも楽しみな学校も、行くのがちょっとだけ億劫(おっくう)になるくらい。  でも今日はそんな事言っていられません。学校は学校でも、いつもとはちょっと違う特別な日なんです。   そう、今日は……。        *  *  *  *  *  午前10時。1年C組の教室。  普段は生徒たちの学びの場となるこの部屋。日々シャーペンを走らせる音、チョークの音、先生の講義、そして生徒の寝息などが四重奏を奏でる空間であるが、今日、この部屋に響き渡るのは、  「いらっしゃいませー!」  魔女に(ふん)した、生徒たちの声である。  11月下旬の日曜、文化祭当日。  ここ1年C組の教室では、クラスの出し物である「魔女カフェ」がオープンしていた。  普段、蛍光灯が黒板を照らしている天井も今日は黒い布で覆われ、日ごろ持ち主不明の消しゴムが転がっている床には、赤いパネルカーペットが敷かれている。  部屋の中は白いクロスで覆われたカフェテーブルとイスがいくつか置かれ、その周りにはアンティーク家具をイメージしたセットや黒猫をモチーフとした小物が置かれている。所々で揺れるキャンドルライトが、ミステリアスな雰囲気を醸し出している。  そのムードを更に引き立てるのが、魔女に扮した店員たち。  「かしこまりました! 悪魔の誘惑ダークラテお一つに、()れ薬のハーブティーお一つですね! 少々お待ちください!」  「お待たせいたしました! こちら極めて協力な魔法を使っておりますので、人間のお客様は十分ご注意してお召し上がりください~!」  およそ日常生活で使いそうにない語彙を駆使して接客をする彼女らは無論、1年C組の生徒である。皆黒いローブと三角棒に身を包み、各々リボンやブローチなどで個性を出している。高校という場所でありながら魔女姿の少女たちが行き来するという非日常感に、客は皆くぎ付けである。  中でも一際目を引くのが、  「お待たせしました! ようしぇいのセイク……すみません、妖精のシェイクです! どうぞごりゅっく……ごゆっくり!」  噛みつつも、周りの店員より一際可憐な衣装に身を包んだ彼女は、伊端珠。C組がこの店の看板娘として売り出し、見事マーケティングに成功した張本人である。事実、彼女のやや危なっかしい、それ故についつい見守りたくなってしまう接客の様子は、男女問わず多くの来客の目を惹きつけている。そのため伊端珠がテーブルの脇を通る度、そのテーブルに腰かけていた客全員が鳴子こけしのように彼女を目で追っていくのだった。  そしてそんな店内の非日常な雰囲気をある意味際立たせているのが、  「らっしゃいあせぇーっ!! 2名様ぁ! 3番のテーブルにご案内いたしゃあす!」  寿司屋の板前も顔負けの声量で客を案内する、ウィッグに黒いドレス姿の男子たちである。  女装による羞恥心からの逃避と文化祭テンションにより半ばヤケクソになった彼らは、ドレスの裾をなびかせながら店内をずしずしと闊歩する。案内された他校の生徒と思われる男子2人組は「大丈夫? これ店のコンセプトとして合ってる?」とでも言いたそうな面持ちでキョドキョドと女装魔女の後に続く。  そんな女装魔女たちの雄姿に対し、一部の女性客らが熱烈にカメラを向けているのは、果たして気のせいであろうか。      *  *  *  *  *    午後13時。  1年C組は午前の怒涛の時間を終え、ひと時の落ち着きを見せていた。  昼時のピークを乗り越えて客足が一旦落ち着いたことと、13時から体育館でダンス部による公演がスタートするため、そちらに客が集中しているというのが主な理由である。  「俺、自分を褒めたい。ここまで心が折れなかった自分を」  ドレス姿のままバックヤードで椅子にもたれかかる大道具班の木村を、クラス委員の吉岡が励ます。  「まだまだ! あんたならできる! 15時頃から最後の波が来るはずだから、それさえ乗り越えられればあんたもきっと一人前の魔女になれるよ!」  「目標が変わってないですか」  そこにひょこっと顔を出したのは、汗で若干帽子がよれてきた伊端珠である。  「お疲れ様です。何か手伝えることありますか?」  「珠ちゃんお疲れ~! お客さん今はあんまりいないでしょ? 朝から働きっぱなしで疲れてるだろうから、また忙しくなるまで休んでてもらっていいよ」  看板娘に対するケアに余念がない吉岡。  「いえいえ! まだまだ平気です!……わ、木村さんなんだかぐったりされてますね。お疲れですか?」  「いや、全然大丈夫。むしろ疲れたりないくらい」  途端に背筋を伸ばし直立する木村。コスプレ姿の彼女に心配されてこうならない男子はいない。これもクラス委員である吉岡の計算のうちである。  そこへもう1人、ドレス姿の男子魔女が姿を現した。  「ごめん、今親子連れのお客さん来た。俺、空いたテーブルのセッティングで手離せないから、誰か対応できる?」  C組男子の中で最も真面目に働いている優男、姫島である。すかさず伊端珠が返事をする。  「あ、お子さんいらっしゃるなら私行きます! この格好してると、ちっちゃい子が喜んでくれるんですよね~」  そう言ってバックヤードを出ていく伊端珠。心底楽しそうな彼女の後姿を、バックヤードに残った三人はそっと拝んだ。  伊端珠がテーブルに向かうと、姫島の情報通り5歳ほどの女の子とお母さんらしき女性が席についていた。  「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか?」  母親が女の子に話しかける。  「ほら見て、アヤちゃん! 魔女さん来てくれたよ。よかったね~」  アヤちゃんとよばれた少女は、やって来た伊端珠をじっと見つめている。  「ま、じょ」  「そうだよ魔女だよ~、こんにちは。何にしますか?」  女の子はたどたどしい口調で答えた。  「たぴおか」  「タピオカ?」  お母さんが捕捉する。  「えっと、このドリンクメニューのタピオカ入ってるのを……」  「あ、人魚の玉子のタピオカミルクティーですね! かしこまりました!」  「攻めたメニュー名ね……私はコーヒーお願いします」  注文を控え、バックヤードに戻る。  「すみません、人魚タピオカ1つとコーヒー1つ!」  「はいはーい、タピオカね……って、あっ」  在庫を確認した吉岡が声を上げる。  「やばい、業務用のタピオカ切らしてる」  「あらら」  「ダッシュで買いに行けば20……30分くらいで行けるけど、すぐには厳しいなぁ」  テーブル席へ戻る伊端珠。  「申し訳ございません、只今タピオカの方切らしておりまして……他のドリンクならお作りできるんですが……」  「あら、じゃあ仕方ないわね。そしたらアヤちゃん、別のお願いしよ、ね」  少女はぼんやりとメニューを見つめている。  「たぴおか……」  「タピオカ今ないんだって。他のやつ……こっちのイチゴのやつとか良いんじゃない。アヤちゃんイチゴ好きだし、ね」  少女は依然として納得できない様子であったが、母親に注文され伊端珠は再びバックヤードに戻る。  「申し訳ないことしましたね……」  「在庫数ちゃんとチェック付けておくよう連絡回しておくわ。すぐ作るから、珠ちゃんまた運んできてくれる?」  伊端珠はこくりと頷いた。      *  *  *  *  *  午後15時。  文化祭もいよいよ大詰め。1年C組の魔女カフェも最後のピークを迎えようとしていた。  「タピオカ買ってきたー! これであと30食分は行けるよ」  買い出し隊長の田中が業務スーパーから帰還する。  「ありがと! メニューの品切れ表示、剥がしておいて」  「アイアイサー」    カフェ内はダンス部の公演やら軽音部のコンサートやらが終わり、流れてきた客足で賑わっている。その間を疲労のピークに達した女装魔女たちがウィッグを振り乱しながら歩き回るその光景は、ちょっとマイルドな地獄絵図と言えるくらいの混沌を呈していた。  「ご注文入りやしたぁー!! モカ一つにフロート一つ! 2番テーブルっっしゃい!!」  「ちょっと、ラーメン屋じゃないから。こんな狭い所で叫ばなくても聞こえてるから」  「すみまっせんよらぁぁい!!」  「オーバーヒートしてんな、男子」  午後16時。  最後のピークを越えた1年C組は、16時半の閉店に向けて準備をしつつあった。  「最後の買い出しちょっと張り切りすぎたな~、ドリンクメニュー割と残っちゃった」  田中が舌を出す。客がはけてがらんとなった教室では、今日一日の検討を称え合う女子たちと、燃え尽きて真っ白になった男子たちの顔がキャンドルライトに照らされ揺らめいている。  「お疲れ様です」伊端珠が顔を出す。「チラシもう無くなってました。お客さんもそろそろお帰りになられてる方が多いですね」  「お疲れ~珠ちゃん、タピオカ余ってるけど、人魚ティー飲む?」吉岡が冷蔵庫を開ける。  「あっ……いただきます。結局余っちゃったんですね」  「お昼過ぎに来たあの女の子も、もうちょっと遅く来てたら出してあげられたんだけどねぇ。まあ、そこは反省ということで」  窓の外を見る伊端珠。校舎の3階にあるこの教室からは、中庭の様子が良く見える。一通り文化祭を回り終えた来場客が、ぽつぽつと校門に向かっていくところだった。  「さすがにもう、お帰りになってますよね……」  「もう目ぼしい企画ほとんど終わってるからね。それに校内にいても探すのはちょっと難しいよ。広いし。まぁ仕方ない仕方ない。はい珠ちゃん、できた」  「いた!」  「えっ」  窓の外に身を乗り出す伊端珠。その視線の先にいるのは、確かに昼過ぎに来た少女とその母親であった。  「ああ、帰っちゃう……せっかく見つけたのに」  「あーほんとだ。さすがにこの距離じゃ声かけても聞こえないね……しょうがないよ。タイミングが悪かっ……」  「吉岡さん」  「はい」  「これ、いただきます!」  言うやいなや、伊端珠は吉岡から『人魚の玉子のタピオカミルクティー』が入った蓋つきカップを受け取り、窓を全開にした。  「いやちょっと、珠ちゃん」  「行ってきます!」  「ちょっ」  次の瞬間、右手で三角帽を押さえ、左手にカップを握りしめた伊端珠は、窓の外に身を投げ出していた。  夕闇迫る校舎の中庭に、1人の黒い影が宙を舞う。  気が付いた何人かの人影が、驚いた様子で頭上を仰ぐ。校門に向かいつつあった例の少女も何やら只ならぬ気配を感じ、校舎を振り返った。  思わず叫び声を上げそうになった吉岡だったが……待てよ、と一瞬冷静になった。    ここは校舎の3階だ。  普通だったら、飛び降りて無事でいられる保証は決してない。ちゃんと足で着地できたとしても、おそらくダァン!!というすさまじい音とともに着地の衝撃で骨にヒビが入る……最悪折れる。  普通だったら、だ。  伊端珠は猫だ。  猫の内耳にある三半規管は落下の瞬間、地面までの距離を即座に計算する。そしてそれに応じて身体をねじりつつ、落下速度を調整することで……。  「すとっ」  伊端珠は、難なく中庭のアスファルトに軟着陸した。  衣装のスカートがふわり……となびく。  騒然となる中庭。なんだなんだ!? 魔女が飛んできたぞ! でも(ほうき)には乗ってない! 魔女って箒無くても飛べるの!? 何かの出し物か!? 手品同好会か!? そんな喧騒の中を、伊端珠は平然とした顔で少女の元へてってってってと歩いていく。  母親とともに口を開けて呆然としている少女の前で立ち止まると、伊端珠は(かが)んで少女の顔を覗き込んだ。  「間に合ってよかった! ……お昼過ぎに来てくれた、アヤちゃんですよね」  少女は黙って頷く。  「はいこれ、タピオカ余っちゃったみたいなの。来てくれた時に出せなかったから……あげます。どうぞ!」  あらまあそんないいのに、と声を上げる母親をよそに、少女はじっと伊端珠から受け取ったカップを見つめる。  「……たぴおか!」  「そう、タピオカ!」  「まじょさん、たぴおか、とんできた!」  興奮した面持ちではしゃぐ少女の手を引き、母親は何度も頭を下げながら校門を後にしていった。  「まじょさん!」  少女が伊端珠に声をかける。  「かわいい!」  伊端珠は手を振り、去っていく少女を見送った。伊端珠の被った三角帽が、夕暮れの中庭に影を落とす。  手を振る伊端珠の背後で、文化祭閉会のチャイムが鳴った。  「もー珠ちゃん、いきなり飛び降りないでよ、寿命縮んだよ」  3階の教室から駆け降りてきた吉岡が、伊端珠に追いつく。  「すっすみません! 頑張れば間に合いそうだったのでつい……」  「それにしても3階から飛び降りても無事だなんて、珠ちゃんすごいなあ。普通の人だったら絶対ケガするのになあ。だったら」  ニヤニヤと意地悪そうな笑みを浮かべる吉岡を前に、伊端珠ははっと我に返る。ここでようやく、夢中のあまり猫の本性を出してしまったことに気が付く。  「えっあっ、そう……なんですかね。いやその、ちょうど着地したところだけ柔らかかったっていうか、いやぁそう言われてみればよく無事でしたね。いやぁびっくりだなぁ~アハハ……」  しどろもどろになる伊端珠を見て悶絶しそうになりながら、吉岡は伊端珠の手を引いた。  「さ、戻ろ。体育館で後夜祭始まるから。なんか女装させた姫島君を冗談半分でミスコンにエントリーさせたらなぜか通っちゃったみたいで、これから最終コンテストだから、皆で応援しにいこう」  「あ、そういうのもあるんですね……えへへ」  手を引かれ、校舎へ戻っていく伊端珠の三角帽の下から、小さく猫耳が覗く。それを見咎める者は、もう誰もいない。  もうすぐ、秋が終わる。  
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