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「ひとまず模型採血は合格でいいんじゃない?」
何度目かの採血練習中、チェックシートを見ながら篠崎先輩が言った。
「じゃあ今度から本物の血管に刺せるんですね!」
「しばらくは先輩の見守りのもと、だけどね。ていうか榎本、嬉しそうだね。そんなに採血したかったの? そう言えば駆血帯縛る手つきも慣れてるし、血管探る指の動きも妙に新人ぽくないよね」
先輩が片方の眉を上げ、顎に手を添えて探る様に私に顔を近づけた。
「もしかしてあんた、裏で危ないことでもしてんじゃないの?」
「ま、まさか!」
危ないことはしていない。ただ危ない嗜好があることは否定できない。自分の身体を駆血帯で縛り、浮き出た血管を触っては、そして駆血帯をとった後に感じる痺れと共に血管が沈んでいくのを見てはうっとりしていますとは口が裂けても言えない。絶対に引かれる。
「まあ仕事に支障なければ何でもいいけど。これからどんどん任されるケアも増えていくけど、基本に忠実に。復習も忘れないこと。私達は命預かってんだからね」
「はい!」
「ったく、返事だけはピカイチよね」
先輩が苦笑気味に肩を竦めた。
練習時間は既に日勤後だったから、模型や使った道具を片付けた後、私はスキップでもしそうな勢いで磯部さんの病室に向かった。模型採血のテストに合格したことを、すぐに磯部さんに伝えたかったのだ。
「磯部さん、失礼します!」
私がいつもの様にカーテンを開けると、そこには胸を押さえて苦痛に顔を歪めた磯部さんがいた。
「磯部さん!」
駆け寄って肩に触れる。声をかけても反応する余裕なんかなさそうだ。急変。私には対応できない。ひとまず先輩を――
その時、私の手に何かがかかった。
突然飛び散った赤い液体。磯部さんの血液だ。
私の手に、ナース服に、ベッドに、赤が散り広がる。目の前の白が赤に変わる程、私の頭の中は真っ白になった。腰が抜けた。倒れる瞬間にサイドテーブルにぶつかって、がたんと大きな音がした。ナースコールは見えるけど、足が震えて立てなくて、手が届かない。
どうしよう。このままじゃだめだ。
わかってる。でもわからない。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。
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