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どこに行っても逃げ場がなくて、海の底の、淀んだ空気で生きているみたいだった。空気が入れ替わらない。ずっと、重たく、濁っている。
この町に都会から嫁いできた母も、わたしを置いて実家に帰ってしまった。唯一、血がつながっていたのに、我が子という肉親を捨てていった。強いられたのは、再婚相手の父と、祖父。いっそ、施設にでも放り出してくれればよかったのに、二人はわたしを引き取った。一緒にいることは、互いの精神をすり減らすだけの行為でしかなかったはずなのに、わたしを捨てることはしなかった。それは幸せだったのだろうか。だとしたら、誰の幸せだったのだろうか。
手元のスマホが振動する。ぼうっとしているのを、ちょいちょいと引き戻してくれるような震え方だった。
〝──それも答えのひとつだ〟
答えのひとつ、と小さくなぞった。
なんの答えだろうかと思案して、すぐ上の自分の言葉で解決した。
残したい言葉なんてないと言ったわたしを、この人は責めないのか、と気付く。非情だと責めてきた親戚たちとは別の世界を生きているような人。
この送り主を、わたしはだれなのか知らない。向こうもきっと、わたしを知らない。
ただ、メッセージアプリで知り合った男の人というだけ。プロフィール欄に男性と書かれていた言葉をそれとなく信じている。
顔の見えない相手と連絡をとるなんて類のものは好きではなかったし、むしろ遠ざけていた。だというのに、今では自分から切り離せないものになってしまった。どうしてもこの人の言葉が恋しくなってしまう。
かじかんだ指先を温めるように息をはくと、空気が一瞬白く染まった。きっと、寒いね、と返したら、寒いね、と返してくれる人なのだろう。ぬくぬくと、首元のマフラーに顔を埋めた。
〝間違ってない答えかな?〟
〝──正解も間違いもないんじゃないかな?〟
数ある選択肢だと思えばいいと、続けられたその言葉たちに縋ってしまいたかった。
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