セピアアイ

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 ツンと鼻の奥を刺激する匂いで、体は十分にその毒へと浸かりきっていた。いくつものイーゼルが円を描くようにして囲っているのは一人の男子生徒。黒く艶めく髪に、こくこくと上下に動く喉仏。形のいい唇と、すらりとした鼻筋。それから、漆黒色の髪とは比例するように存在するのが、紅茶色の透き通った瞳。  瞬き一つ、絵になるような人を、わたしは今まで見たことはなかった。 「じっとしてればいいの?」  聞き取りやすい声質は、いつだってわたしの鼓膜を気持ちよく刺激する。 「うん、じっとしていてくれたらいい」  ケント紙が貼られたボードを隔ててそう答えると「ふーん」と間延びしたような返事が空気に混じって消えていった。    彼とわたし、たったふたりしかいないこの部屋に、唯一入ってくるのは、橙色に染まった夕焼け。赤く燃えるような空が、窓枠を通して差し込み、より幻想的な空間へと変えていく。 「喋るのってアウト?」 「ううん、喋ってくれていいよ」  彼が喋る度に、喉仏が生々しく動く。わたしにはないそれが、一体どんな固さで、どんな感触なのか、不意に触れたくなってしまいそうになる。  昔から絵を描くことが好きだった。中学、高校と美術部に入り、ゆくゆくは美術に関わるような仕事に就きたいと思っていた。――それがいつしか過去形になっている。 「美術室って、なんでこんなにごちゃごちゃしてんの?」 「使うものが多いからかな」 「あの像とかなんか怖いんだけど」 「あれはデッサン用の石膏像」 「なにそれ」 「ああいうので、ものの見方とか感じ方を自分のものにしていくの」 「へえ」  まじまじと見るのは恐らく初めてなのだろうか。瞳に焼き付いてしまうんじゃないかという程、ごろごろと置かれてる石膏像をじっと見つめている。
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