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for you
朝、起床した私はパジャマから背広に着替え、自室にある姿見を覗き込んだ。そして、イーッ っと双方の口角を上げて真白な歯を眺める。笑顔の練習のためだ。これが私の毎朝の習慣である。
ブランド物ではないが高級感の溢れる紺色の背広、最近は地球温暖化で気候も暖かくなっているせいか、ジャケットは専ら職場の自分のデスクの椅子の背凭れに引っ掛けっ放しだ。純白で清潔感のあるカッターシャツに、爽やかさを見せる空の中に揺れるように四つ葉のクローバーの意匠を施したネクタイは私のトレードマーク。ズボンはジャケットと同じ色のスラックス。髪型は高さのないツーブロック、もちろん真っ黒、烏よりも黒いと自負している。目は矯正手術済でランドルト環が一目で全部見える程で2.0、町中の風景が遠くの看板の文字まで見えて気持ち悪いぐらいだ、しかし、私はあえて度の入っていない伊達眼鏡を掛けている。自分を誠実そうに見せるそれだけのためだ。眼鏡を掛けているだけで真面目なガリ勉だと思いこむ人が案外多い。これまでの人生経験で学んだ故に考えた私なりの「変装」だ。
笑顔の練習を終えた私は全身を姿見に映した。これならどこからどう見ても誠実で真面目そうな青年に見えるだろう。就職試験でもこのスタイルで通したために「真面目」と言われるのは実証済みだ。
今、就職試験と言ったが、正式には就職試験ではない。教員採用試験である。
そう、私は「ある目的」があり教師になったのだ。
何度目の春を迎えただろうか。春風の中、始業式が行われた。私は事前に渡された次に担当するクラスの名簿を見て心が震えた。何年も何年も教師を続け偶然見つけた「ある少年」の名前。それを見ただけで私の心が喜びに満ち震えた。
私は「ある少年」の先生となるために、教師になったことに気がついたのだった。
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