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実は私に心が芽生えたのは恐らく、健太くんの祖母が入院している時だろう。気付けば、世界は真っ暗だった。記憶というのは蓄積されていたようだから、常に暖かいものは感じていたのだが、本を開く事の出来なくなった彼女は、私を見ることはなかった。
それを救ってくれたのが彼だった。祖母が見込んだ通り、健太くんは読書というものに熱中した。小学生になってからというもの、暇さえあれば本を開き、私を傍らに置いて、そして文字に目を通す。楽しそうに、時には悲しそうに読み進めていく彼の表情は、見ているだけでも楽しいものだった。そしていい所まで読み進めると、少し残念そうに私を本の間にそっと挟み、「今日もありがとう」と言い、本を閉じるのだった。
さすがに病弱な体だったので、体調が悪い時などは私を手にする事はなかったのだが、そんな時は大丈夫だろうかと、心配で心配でたまらなくなった。そして、数日後に再び私を手に取ってくれると、とても嬉しかったものだった。
彼は祖母の言いつけ通り私を大切に扱ってくれた。私だけじゃなく、本も綺麗に読むし、何でも整理整頓して、物を汚す事をしなかった。そんな所にも私は好感を覚えた。そんな彼が、私を常に大切に扱ってもらえる毎日は、とても幸せなものだった。
そんな日々も6年を数え、彼が中学1年生になった現在。私は1人(?)机の上の本の中に座し、学校から彼が来るのを待っていた。彼は私を学校へは連れて行ってはくれない。学校には小説なんかは持っていかないようで、恐らく度々休みがちになるから、学校では勉強に専念しているのだろう。
慣れてしまったとはいえ、こういった時間は寂しいものだ。心があるからこそ辛い気持ちも嬉しい気持ちも同様に存在する。そう考えると心を持つまでの50年間はとても楽だったのだと思う。でも、だからこそ今の幸せな時間が有り難い事なんだと分かる。
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