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庭に回ると、踏み固められた場所には草が生えていないが、花壇の部分はすっかり雑草で埋め尽くされている。
敷地を囲う生垣の横には、裏山から湧き出る小川が流れていて、常にせせらぎが聴こえている。
昔はここで野菜を洗っていた。
その頃は綺麗な水だったのに、今では手入れする人もなく、落ち葉や山柴などのゴミが溢れて汚れている。
五月上旬の爽やかな空気の中、一匹のミツバチが花を求めてブーンと飛んでいる。
目で追うと、庭に咲いている花に近づいて蜜を集めだした。
終わると次の花へ、体に黄色い花粉をまぶして移動していく。
庭の片隅に立っている石燈篭が目についた。すっかり苔むして変色している。
「オウ! 白かったのが、こんな緑になってしまって!」
子供の頃、この石燈篭によじ登って遊んでいたところ、母に見つかってしこたま怒られた。
『倒れたらどうするの!』
決して近づいてはいけないと、祖父母からもきつく注意された。
それから祖父母は、石燈篭を取り巻くように桜草を植えた。
『エミリーちゃん、お花を踏まないようにね。カワイイ、カワイイするのよ』と、優しく教えてくれた。
桜草は、赤紫色の可愛らしい花を毎年咲かせた。
花を踏まなければ石燈篭に上れない。これならやんちゃなエミリーも二度と近づかないだろうとの祖父母の心遣いであった。
「おじいちゃん、おばあちゃん……」
しばし、祖父母の面影に浸る。
「さて、日が暮れる前に済ませよう」
来日前に母から預かった鍵で玄関を開ける。
本来なら母がここに来て片付けるべきなのだろうが、相次いで両親を亡くして気力を失ったのか、長いこと放置したままだった。
その母がいよいよ病気になってしまい、自分の死を意識して、日本に暮らすエミリーに、『仏壇からおじいちゃんとおばあちゃんの位牌を持ってきて』と頼んできた。それがここに来た目的である。
もちろん、エミリーにとっても大切な思い出の場所。二つ返事でやってきた。
『二人が元気なうちに、もっと会えばよかった』
母は、そんな後悔を口にすることも多くなった。
母は寡黙で昔話など聞いたことがなかった。その母が今になって昔を懐かしんでいる。
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