手記11 四方盆村

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 また石段をヒイヒイ言いながら上りました。  四方盆寺まで戻ると、「ちょっと煙草を吸ってくる」と、先生が居なくなりました。  それがなかなか帰ってこなかったので、様子を見に境内へ行ってみました。すると、またさっきの女の子と話をしていました。 「先生、その子って、村人に怒鳴られていた子ですよね」 「蛇骨智也の妹の沙江利ちゃんだ」 「そうだったんですか」  座敷わらしじゃありませんでしたが、この子が幸運を運んでくるような気がしました。 「家では隠れていたのね」 「奥にいなさいって言われて、隠れていたの」  沙江利ちゃんは、オドオドしながら答えました。 「沙江利ちゃんは何歳?」 「9歳」 「智也さんがお兄さん? 他に兄弟は何人いるの?」 「智也兄、茂也兄、仙也兄と私の四人」 「たくさんお兄さんがいるのね」  智也は長男ということになります。 「先生、二人で何を話していたんですか?」 「貴重な証言を得られたよ。智也君は帰ってきていないって」 「え! わざわざ教えに来てくれたの?」  沙江利ちゃんは大きく頷きました。 「智也兄が心配だから、見つけてください」  擦り切れたダウンジャケットとズボン。赤いほっぺと澄んだ瞳。純朴そのものでした。 「分かった。約束するね」  私は、沙江利ちゃんの温かい手を握って約束しました。沙江利ちゃんの手は、あかぎれとしもやけで赤くガサガサになっていました。 「そうだ。これ、塗ってあげる」  私は少しでも良くなるように祈りながら、家から持ってきたスキンクリームを両手に塗り込んであげました。  沙江利ちゃんは嬉しそうになりました。  先生は、笑顔になったところを見計らって聞きました。 「ところで、沙江利ちゃんは誰に頼まれてここに来たのかな?」 「誰にも言われてない。黙ってきたの」 「そうか。お兄ちゃんが心配なんだな。そうだ。これをあげる。お駄賃だ。手を出して」  先生は、懐から小さなキャンデー缶を取り出して蓋を開けました、中には綺麗で可愛い金平糖がぎっちり入っていました。 「ワー、綺麗」  沙江利ちゃんの瞳がキラキラ輝きました。  その金平糖を先生は、全部沙江利ちゃんの手のひらに乗せました。  沙江利ちゃんは、数個立て続けに食べると、気に入ったようで、残りを一気に口に入れてボリボリ嚙み砕いて飲み込みました。 「美味しい! ありがとう!」  沙江利ちゃんは笑顔になりました。 「沙江利!」  石段を上がって、丸坊主で履き古した学校ジャージの少年がやってきました。 「仙也兄!」  蛇骨家の三男でした。 「こんなところで何しているんだ! 危険だから寺には近づくなって言っただろ」 「ごめんなさい」 「さ、帰るぞ」  仙也兄は、沙江利ちゃんの手を引いて帰っていきました。沙江利ちゃんは、私たちに笑顔で手を振ってくれました。  沙江利ちゃんのお陰で心温まった私は、とても救われた気持ちになりました。 「先生、金平糖なんて持ち歩いていたんですか?」 「糖分補給用」 「私にもください」 「いいよ。今はないから、帰ったらな」 「約束ですよ」 「分かった」  どれだけ小さな約束でも、先生と結ぶなら天にも昇る気分になれました。 「金平糖で喜ぶんだから、子供って可愛いですね」 「君だって、同じじゃないか」  その通りでした。  先生は、からかうような笑みを私に向けました。  その顔に胸がキュンと高鳴りました。
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