手記12 囚われる

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「先生は甘いもの好きですか?」 「うーん、どちらかというと辛い方が好きかな」 「唐辛子ですか?」 「唐辛子ではなく、ワサビが好きなんだ」 「ワサビ?」  ワサビを好きの一ジャンルとする認識が私にはありませんでした。  ワサビと言えば、お刺身の薬味です。それ以上のものはではなく、それ以下でもありません。 「喉奥から鼻にツーンと抜ける感覚が大好きなんだよね。ああ、僕は生きていると感じる瞬間だ」 「へ、へえー」  楽しみ方は人それぞれですが理解できませんでした。  やはり凡人と違うと思いましたが、好きな気持ちに影響はしませんでした。  一風変わった人が私の好みなんでしょう。  今まで自覚はありませんでしたが、先生を見ていて気付かされました。 「ワサビって、お寿司やお刺身以外に、どうやって食べるんでしょうか」 「一番簡単なのはワサビ茶漬けだな。生ワサビを掏って白ご飯に乗せたら、熱々のほうじ茶をまんべんなく掛けて溶かす。とても上品な味わいのご馳走となる」 「話を聞くだけで美味しそうです」 「それでよければ今度食べてみるか」 「はい! 食べてみたいです!」  先生との他愛ない日常会話で、非日常的な恐怖体験の記憶が薄れてきて、元気を取り戻しました。それが狙いだったのだと思います。  人は人と関わることで癒されるのは本当ですね。  先生がいてくれなかったら、この時の私はどうなっていたか分かりません。 「ちょっと煙草を吸ってくる。出来るだけ早く戻ってくる」  先生は、煙草を手にすると研究室を出て行きました。  一人でいると、また霊が現れるような気がして心細くなりました。 「先生、早く戻ってきてくれないかなあ……」  異変が起きたのは、それから間もなくでした。  急にだるくなって視野が狭まったのです。 「あれ? 変?」  それからの記憶がありません。  次に気が付いた時、私は見動きが取れませんでした。
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