スケッチ:雪景色

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スケッチ:雪景色

 どんよりと曇った空から真っ白な雪が静かに降り続けている。窓を開くと冷たい空気が緩やかに流れ込み、私の頬を容赦なく突き刺した。しかし換気は必要だ。廊下の小窓を開けておくだけにしておこう。外は一面が白く染まっている。庭も、車庫も、道も、田畑も、近所の家も、一様に白銀の世界だ。九州南部にしては大雪といっても過言ではなく、ニュースキャスターは冷静に、しかし緊迫した声で交通情報を告げ各種災害への注意を促している。庭に出ると、息子が目を輝かせてに雪をかき集めていた。今日は日曜日だ。  雪が降るといつも思い出すことがある。  あれは小学生のころだった。いまの住屋から南西に五キロほど離れた位置にある祖父が建てたという平屋の古い家に住んでいた。そのころすでに祖父は亡くなっていたが、祖母と両親は健在で、三人で苺栽培に精を出していた。生活は……どうだったろう。幼少期は物欲の少なくて、しかも周りは田んぼだらけで娯楽が少なかったからお小遣いを欲しがらなくて、だからよくわからなかった。中学に上がるころには土地をいくつか売り払い、それを元手に始めた商売が上手くいったらしく、えらく生活が豪勢になったことは覚えいる。私の代で農家は完全に廃業して、いまは教職員をしているが息子にもどうやらそういう傾向がある。遺伝ではなく土地病だと思いたい。  今日と同じように寒い日の事だった。昔のほうがよりもずっと寒かった気がするが、幼少期の記憶は当てにならない。だが、雪は積もっていた。庭を歩けば足跡がくっきりと残ること、そして雪を踏みしめるシャクシャクした感触が気持ちよくて、内向的だった私ですら湧き上がる高揚を抑えきれず、曇天のもとひたすら近辺を駆け回っていた。  私に限らず地域の子供たちはみんな喜んだ。その日は冬休みだったが、大抵の子供が早起きしたらしく、澄んだ空気を目いっぱいに吸い込んで甲高い声で無思慮に喚き散らし、いかにも田舎の子供らしく庭駆け回り、場合によっては田畑や道端で積雪と全身を用いて戯れていた。おそらく炬燵で丸くなっていた子など一人もいなかっただろう。雪合戦の歓声にも心を惹かれたが、既に私の心を掴んでいたものがあった。雪だるま。そう、私はとにかく雪だるまが作りたかった。  庭に座り込んで一心不乱に雪をかき集める。素手に染みる冷たさが、却って私の反骨精神に火をつけた。負けてたまるものかと、ほとんど手のひらを痛めつけるように雪をあつめ、捏ねて、丸めた。しかし、そう上手くはいかない。最初は巨大なものを作り上げる気概を持っていたが、コツを掴めずに悪戦苦闘し、降った雪があまり湿り気のあるものでなかったこともあり、日が傾き始めたころ、とにかく完成させる方向へ方針転換した。  悪戦苦闘の末、それは完成した。  下段は成人男性の手のひらで丸く包んだくらいの大きさで上段はそれより一回り小さい。やや凹凸があり滑らかな仕上がりとは言えないが、それでも安定して自立できた。陽も暮れかかっていたが、仕事終わりの両親を連れ出し、彼らに作製の武勇伝を言い聞かせた。疲れていただろうに、両親は私の言葉に最後まで耳を傾け、よくできていると褒めてくれた。私は有頂天になり夕飯のときもずっとその話をしていたことを覚えている。しかし、行動で身体が、お喋りで頭も疲れていたらしく、その日はすぐに眠ってしまった。  次の日、慌てふためいた父の声に起こされ眠い目を擦りながら外へ出ると、私が作った雪だるまの隣にもう一つ雪だるまが作られていたのを発見した。わたしのものと同じくほとんど装飾がないシンプルな、しかし私のよりも一回りほど大きい雪だるま。両親はこれが私の作製でないことを確認すると、静かに顔を突き合わせて難しい話を始めた。当時の私にはわからなかったがことは単純で、つまり、皆が寝静まった深夜に、わざわざ私の家の敷地まで侵入してきて雪だるまを作っていった者がいる。しかも雪だるまはリビング近くの縁側にあった。田舎の広い庭はとても偶然入れるものではなく、そして近辺の子供が深夜に家を抜け出すような事態は考えにくかった。  大人たちの反応は拒絶的なものだった。特に父の慌てようは見ていられないほどで、大事をとって警察に通報しようとまで言いだした。さすがにそこまで深刻なことではないと、母に制止されたが一方で母は犯人を突き止めようと躍起になり、候補となるような近所の変わり者を片っ端からリストアップしている。そして、たまたま遊びに来ていた母方の叔父は今夜ふたたび同一犯による同一犯行が起きる可能性が高いから、自分が寝ずの番をすると言い張った。彼なりに、いいところ見せたかったのだろう。対応に差こそあれ、雪だるまの制作者を気味の悪い不審者とする認識は一致していた。けれど、私だけが違った。私は単純に嬉かった。  この雪だるまは友情の証だ。私と友達になりたい、誰かがそう思って作ったものとしか思えなかった。だからニコニコしていたのだが、大人たちはそれぞれ暢気、鷹揚、度胸と見当違いのレッテルを貼った。  結局、下手人は見つからず、次の日には雪だるまが融けて土に還るのと同じように家族の意識から消えてしまった。  ひゅっ、と北風が吹いた。  ふと、気が付くと息子が大声を出しながら家の中に駆け込んでいくのが見えた。鼓膜を突き刺すような生命力に溢れた甲高い声は、彼が雪だるまを作り上げたことを私に教えてくれた。なるほど。おそらくまだ眠っているであろう家人を叩き起こし、自分の作った素晴らしい芸術品を褒めてもらおうと画策しているのだろう。寝起きがよいとはいえないあの人の逆鱗に触れなければいいが。高確率で私も巻き添えを食らうことになるのだから。  また、北風が吹いた。  そうか。雪だるまを作ったのか。  もし明日の朝、その隣にもう一つ雪だるまが増えていたら、私はどう対応するだろう。父のようになるのだろうか、母のようになるのだろうか、叔父のようになるだろうか、それとも……。
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