ご機嫌直しまであと何単位?

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ご機嫌直しまであと何単位?

「……じゃあ、こんなのはどうかな。古代中国人は暦を音楽と関連付けていたという話。彼らは調律に均衡という概念を見出し、規則正しい音律の調べに天地の調和を感じる知性をもっていた。歴代の史書には音楽に関する規定がたくさん残されている。例えば『呂氏春秋』は十二ヶ月を同じく十二の音律に対応させて論じていて、音楽と暦は天地人を繋ぐ概念として捉えられていたんだって。不思議なものに対して規則性を見出して理屈を探るって意味では科学的思考のはしりともいえる。勿論、科学そのものではないけどね」  目まぐるしいほどの早口。 「科学の反対語といえばオカルト。世の中にはたくさん不可思議なことがある。現代ではその多くが科学によって説明できているけど、当然ながら例外もある。……いいねえ、例外! ぼくが大好きな言葉だ。例えば、幽霊って存在は科学では説明できな……あ、プラズマで説明できたっけ。ちょっと待って。ええと、ほかに何か……」  口ごもったのも一瞬だけ。すぐに忙しなく動き始める。 「少し違う話になるけど時間という概念は言語に先行することはありえない、なんて理屈を聞いたことあるかな? つまり時間は言語ありきの概念なんだ。人間が言語を獲得することによって始めて時間が発生する。だから口にした瞬間過ぎてしまう〈たったいまこの瞬間〉という〈今〉でも〈過去〉でも〈未来〉でもない〈時間〉を正確に表現する言葉はない。勿論、暦を用いれば表現できるけど、時間という概念の不在性から考えると遅刻なんてものは……あっ、違う、いまのなし」  賢明にも私の表情を読みとってくれたみたいだ。いくらなんでもそんな理屈ではダメ。 「つまり……その…………そう! 時間といえばカレンダーだよね。世界には色々な暦があるけど、その多くが太陽もしくは月の動きを観測することによって作り出している。賢明なやり方だと思わない? 太陽と月の動きは大きく変わったりしないから基準としては最適だ。っていうか変わったら世も末、天変地異が起きたらそもそも暦なんて何の役にも立たなくなる。  月や太陽は暦を作るための尺度。同時に時を測る道具でもあった。秒、分、時、日、週、月、年。ぼくらが現代でも使っている単位ができあがった。………そう、ここからが本題! 単位って概念は人類の生み出した最高の発明と言う人もいるくらい素晴らしい代物なんだよ。単位があるから曖昧なものを測り、表し、伝えることができる。長さ、重さ、大きさ、それに個数だってそれぞれに基準となるモノサシが用意されている。もちろん、俺もまさにこの瞬間、ありとあらゆる経験則を総動員して一つの天体を測っている。キミという天体だ! 例えば、今の低い声色は3シュークリームだとか、この冷たい視線は5チョコレートかなって……ココアでも飲まない?」 「っふ」  噴出しちゃった。私の負けだ。 「分かったよ、分かった」  もう少し口を利いてあげないつもりだった。せっかくの記念日に三時間近く遅れてしかも音信不通。合鍵で入った自宅にも居ない。心配で必死になって探し回らせておいて、友達の家で酔いつぶれていたなんて。まあ、陰気になって落ち込まれると余計に腹が立つからマシンガントークでも続けてくれたのは良し。最初の五分間は顔を真っ青にして謝ってくれたし、あの時点で許しても良かったくらいだけど、今回はちょっとひどすぎる。これで三十分近く喋り続けているけど、それなりに面白い話だったし、内容の重複もなかった。合格かな。そろそろ仕上げに移ってあげよう。 「それで今の気持ちを示すのに、どんな単位を使うの?」  待ってましたとばかりに輝き出す瞳。けど、そう簡単に許すつもりはない。この店の前を通り過ぎるまで考える時間を与えよう。……残念、時間切れ。 「ところで」 「えっ」  私が喋ると思っていなかったみたいだ。弁舌爽やかな彼の、そうとは思えないほどマヌケな声を聴けるのが凄く楽しい。 「今日の私のファッション、何か足りないものがあると思わない?」  彼は停止した。私の目線に気づいたからだ。ショーウィンドウの中央には新作という文字とともに華やかなデザインのバッグが飾られている。ホント頭の巡りが早くて察しがいいから大好き。表情筋を操って、とびきりの笑顔。 「私の誕生日、覚えているよね」  そう、来週が私の誕生日だ。彼はおどけた顔のまま固まって、口の端をピクピク痙攣させた。値札に並んだ六つの数字は偶然にも私が生まれた年と月の数字と同じだ。日にちまで入ると非現実的だろうけど、これなら無理すれば買えなくもない。  別に本気で欲しいわけじゃないけど、もう少しだけ怖い顔を続けよう。彼が本気で悩んでくれている姿が嬉しい。暦の上では夏も終わっているけど、まだけっこう暑い。汗で光る彼の額を見飽きたら、いつものカフェにでも行こうかな。  1ミルクティーと2ケーキで許すなんてね。私も安い女だ。
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