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ーー僕がこの仕事を始めた理由?そんな大層なものじゃないけど、岸につく迄にはもう少し時間があります。暇潰し代わりに聞いてくれますか?ーー
ぎぃ……ぎぃ……
ぎぃ……きゅい……ぎぃ……
川の渡し船に二人の男が向かい合い乗っていた。向こう岸が見えない程の大きな川を編笠を被った船頭が櫂で漕ぎながら進んでいる。陰気な空には鳥もおらず、川を覗き混んでも赤茶色の濁った水で魚影どころかなんの生き物の気配も感じられない。櫂の漕ぐ音だけがこの空間に存在する音の全てだった。
することもなく川を渡り終えるのをぼんやり待つ客に船頭が声を掛けてきた。
「ずいぶんと落ち着いてんなぁ。他の奴らは取り乱して泣き出したり、俺に怒りをぶつけて喚き散らかす奴も多いのになぁ」
慣れた櫂捌きに比べ随分若い男だった。話している間も船を漕ぐ手は休めない。男は船頭の問い掛けにも「はぁ」と気のない返事を返すだけだった。
「それとも、まだ理解がおっついていないだけかぁ?」
その言葉には明確に首を降って応えた。
「こうなることは、いつも考えてましたから。ただ想像より少し早かっただけです」
感情が見えない淡々とした口調だった。船頭は「ふむ」と少し考え込むと、
「あんたさえよかったら、俺の後釜でこの船の船頭をやらないか?ちょうど俺の任期が終わりそうでな。代わりを探していたんだ」
予想外の船頭の言葉に客は初めて表情を変えた。
「どうして……」
戸惑う客に船頭はからからと笑った。
「なに、俺がお前さんを気に入っただけだ。なんだか俺と似ている気がしてな。まぁ、嫌なら断ってくれていい。また別の客に声をかけるだけだ」
「……あなたはどうして船頭をやっているんですか?」
「俺か?俺も今のあんたと同じように声をかけられたのさ。船頭をやらないかってな」
進行方向を見て、客に向き直った船頭は言った。
「岸につくまでまだかかる。それまで暇つぶしだと思って、ある男の人生を聞いてくれや」
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