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良は大体いつも裕司が寝るのを待ち構えていて、一人で夜更かしをすることはなかった。
裕司のベッドで二人で寝ることはもう当たり前になっていて、良がかつて使った客用布団は仕舞われたきりだ。
「……まだ悩んでんの?」
ベッドに横になろうとしたときに、良にそう言われて裕司は瞬いた。
普段と違う態度を取ったつもりもなかったし、まして何を言ったわけでもなかった。
それを言うと、良は平気な顔をして、あんたもだいぶ顔に出てるよ、と言った。
「……悩むっていうか気にはなってるが……今日はもう寝るし考えるのは明日だなって……」
「ふうん……」
良は呟きながら、横になった裕司に身体を寄せてきた。そろそろ抱き合って寝るには暑い季節だと思いつつ、裕司も本音は冷房をつけてでも彼に触れていたかった。
「……俺のことなんだから、全部あんたがしなくていいんだからね……」
少しばかり硬い声で、良はそう言った。それだけで強がりだとわかったけれど、その言葉が出る程度には、向き合うつもりでいるのだと思って裕司は少し安堵する。
良がこの家に来るに至った事情は複雑で、それは主に彼の家庭環境によるものだった。
父親はすでに亡く、母親は別の男と事実婚状態で、この男が良を虐待していた。良は大したことはされなかったと言っていたが、家を出る決断をするほどのことが大したことでないはずがなかった。
その家庭のために良は高校を中退していたし、愛され方もろくに知らないようなところがあった。
感情論で言えば、そんな実家とは縁を切ってしまえと思ったし、まして良をそこに近付けたくはなかった。けれど彼はまだ未成年で、仮にも母親という肉親との別れが家出という形で完結することがいいことだとも思えなかった。
良がこれからここで暮らしていくにしても、彼は身分証の一つも持っていない。住民票を移すにせよ何にせよ、母親の存在を無視することはできなかった。
良は家出中にスマホをなくしていて、実家について覚えているのは住所と名前だけだった。アポイントもなしに訪問することは気が引けたし、良も家には帰りたくないと言った。母親と会うのはやぶさかではないが、家は嫌だ、と、強張った声で言った良に、とても無理強いはできなかった。
そうすると、アナログに手紙を出すしかないという話になったが、この特殊な状況の何をどう伝えるか──考え始めると思った以上に難しくて、便箋を投げかけたのが今日の昼のことだった。
良の母親がどんな人間なのか知らないが、良の絶対の味方でないことは確かだった。同じ家に暮らしていて、良が追い詰められていることに気付かないはずがないし、仮に気付かなかったのだとしたらそれだけ関心がなかったということだ。良の話の端々からは、父親の死後母子の関係がうまくいかなくなって家庭内で孤独になっていく良の様子が窺えた。
それは本当に親子なのだろうか、と、口には出さないが裕司はどうしても腑に落ちないものがあった。
機能不全を起こした家庭を経験したことのない裕司にとって、親子というものは喧嘩をしようがすれ違いがあろうが、意思を超越したところで結びついたものがあると思っていたし、そこには無条件の愛情があるとも思っていた。
裕司は両親にゲイであることをカムアウトしてはいないが、そこには知られることへの恐ればかりではなく、両親を悲しませたくないという思いもあった。離れた場所で生活していてもなるべく良好な関係を維持したかったし、帰省するときには屈託なく迎えてほしかった。
それは良が抱えているだろう親への感情とは遠く隔たっていると、裕司は思う。
良が裕司を理解できないように、裕司は実感として良を理解できない。だからこそ彼に寄り添っていたかったし、彼の持っていないものを与えてやれるのではないかとも思った。
「……すげえ馬鹿なこと訊くかもしんねぇんだが……お前は母親のこと、好きなのか……?」
黒い滑らかな髪を撫でながらそっと尋ねてみると、良は目を丸くした。そこに驚き以外の感情が混じらないか注意深く見つめる裕司の前で、良はしばらく考え込む顔をして、小さな声で言った。
「好きか嫌いかでいったら、好きだよ……。なんだろ、どこが好きとかいう感じじゃなくて、嫌いになれない感じ。……わかる?」
「……うん、なんとなくな」
「俺が言うのもヘンだけど、あんまり幸せそうじゃなかったなって思うから……幸せになってくれたらいいのにって思う……」
「うん……」
「……でも、会いたいとは、思わない……」
囁くほどの声で言った良に、胸が苦しくなって、裕司はその頭を抱き寄せる。出会った頃に比べて、色々なことを怖がらずに口にしてくれるようになったことが嬉しいと思う反面、彼の抱えているものの重さに己の無力さを覚えることも多かった。
「……そんな心配ばっかしなくても、俺、あんたがいるから大丈夫だよ」
何を察したのか穏やかな声でそう言われて、背中に手を回されて、裕司は良が苦しいと文句を言うまでその身体を強く抱き締めた。
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