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 母親に宛てて手紙を出そうという話になったときから、良はしきりに、はたして返事が来るのかどうかを気にしていた。  差出人に良の名前を添えれば読まないということはないだろうし、読めば無視はしないだろうと裕司が言っても、良の疑問は晴れないらしかった。  口に出すことはできなかったが、その様子を見て、裕司はこの母子の間に信頼はないのだと改めて思う。そんなものがあれば良が家を出るはずもなかったのだが、日頃家族への執着を見せない良が垣間見せる屈託は見ていて切ないものがあった。  成人して社会人になってずいぶんと経つ自分でさえ、何かあれば実家に頼ることも帰ることもできるというのに、良は本当にここ以外のどこにも行き場を見い出せないらしかった。母親はいても、そこは良にとって帰る場所ではないどころか、近寄り難いとすら思っているのだ。  日々のほとんどを家の中で過ごしている彼を見ながら、彼がここで安らげているのならそれでいいと思う一方で、もっと居場所を増やしてやりたいとも思う。普通なら学校や職場や何かしらのコミュニティに属して、広い世界に向き合う年頃なのだ。 「……なあ」  夜になって、あとはもう寝るぐらいしかすべきこともないという時間に、ソファの上でクッションを抱いて転がっている良を見つけて、裕司は声を掛けた。  黒い瞳が向けられて、けれどこれといって表情もなく言葉もないのが、彼らしいと思うと同時に物言わぬ動物と暮らしているようだとも思う。  傍らの床の上に座って、なんとなくその頭を撫でてやると、気持ちよさそうに目を閉じた。このまま続けていたら寝てしまうのだろうと思って、裕司は訊く。 「お前、今したいこととか、ほしいものとか、何がある?」  良は目を薄く開けて裕司を見た。表情はひとつも変わらなかった。 「……今って、どれくらいの意味の今?」 「……明日とか、今週とかくらいかな」  ううん、と良はむずがるような声を出した。そして少しの間考えてから、言った。 「あんたといちゃいちゃしたい……」  特に構えたふうもない声に、裕司の方がどきりとしてしまう。いくらか顔が熱くなるのを自覚しながら、努めて平静を装った。 「お前、なんでそういうこと平気で言うんだよ」 「……別に変じゃなくない?」 「変じゃねえけど、少しは恥ずかしがれって」  良は凪いだ瞳を裕司に向けて、幾度か瞬いてから、少しばかり微笑んだ。 「あんたはもっと俺に図々しくなってもいいと思うよ」 「……うるせえな」 「大人って大変だね」  そう言って良は、ぺた、と裕司の頬に手を当ててきた。そういう問題じゃない、と内心で呟きながら、彼の方がずっとこの関係に馴染んでいるのは確かだと思う。  目の前にいる若く美しい青年が己の恋人だと思うと、どうしていいかわからなくなる瞬間がある。こそばゆく胸を苦しくするものがいたたまれない気持ちにさせてきて、良の目を見ることすら戸惑われた。裕司にとっては良の庇護者でいようとしていた頃の方が、良に対して自然に振る舞えていたような気がした。 「つうか、そんなもん、わざわざ言わなくてもできるだろ。どこか行きたいとかないのか」 「冷蔵庫がすかすかになってきたから買い出し行きたいかな」 「……主夫業が身についてんなぁ……」  半ば呆れたように裕司が言うと、良は口を曲げて不満げな顔をしてみせた。 「だって、あんたはここで暮らすのがもう当たり前だろうけど、俺はあんたんちに住めるのすごく嬉しいんだからね。どこ行きたいとかそんなすぐ出てこないよ」  じいと睨んでくる目を見返せば、その目がごく真剣であることに気付かされた。  恋人になろうと確かめ合ったときに、良はその目を濡らしていつかこの家を出ていかなければならないのだと思っていたと言った。いつか裕司と離れなければならない、と思っていたから、思い出が欲しかったとも言った。 「……すまん」  良の気持ちをないがしろにした気がして正直にそう言うと、良は少し驚いた顔をして気まずそうに目を泳がせた。 「別に謝んなくていいよ……」 「でも、お前が言ったこと、ちゃんと聞けてなかったから……」  良は困ったように裕司を見て、そしておずおずと手を伸ばしてきた。その手を取って顔を寄せると、はにかんでみせる。それがとても可愛いと思った。 「やっぱり、あんたって俺に甘いね」 「今さらだろ」 「うん……俺とちゃんと話してくれるの、すごく安心する……」  良はそう言って、裕司の胸元に頭を寄せてきた。それを抱くようにして撫ぜてやると、何の緊張もせずにされるままになる。この信頼を失いたくなかったし、こうして無防備にそばにいてくれることで裕司もまた救われるものがあった。 「……まぁ、お前に振られたくないしなぁ」  あえて本音を晒してみると、良はおかしそうにくすくすと笑った。 「何言ってるの、あんた」 「だってお前、人の気持ちは変わるもんだろうが」 「それなら俺だってあんたに捨てられるの怖いよ」  ばか、と裕司は言って、良の艶のある髪をかき混ぜた。
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