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 思春期を迎える頃には自分はゲイだと気付いていた。  容姿も年齢も関係なく異性に性的な興味を抱けなかったし、その代わりに同性に関心があった。  そこに疑う余地はなかったけれど、高校を卒業するまでそのことを誰にも言えなかった。田舎のコミュニティは緊密で、今のようにインターネットで遠くの他人と知り合うことも一般的ではなかったのだ。  だから進学して実家を出て、初めて恋愛らしい恋愛をしたし、自分のセクシャリティと付き合う術を身に着けたように思う。  それでもここしばらくは独り身で、このまま一人で暮らしていく未来についても度々考えていたというのに。  ──とんだどんでん返しもあったもんだ。  二人分の食事を用意するのがすっかり当たり前になって、生活用品が増えた一方で消耗品の減りは速くなって、物事を自分の都合だけでは決められなくなった。日々が過ぎるのがあっという間で、もっとゆっくり時計が回ればいいのにと思う。  ただでさえ近頃は季節の巡りが早かったのに、と考えた裕司(ゆうじ)は今年で38になる。それを思うと妙にむず痒いものがあった。 「裕司さん、お風呂空いたよ」  声を掛けられて振り向くと、濡れ髪のまま立っている青年がいた。彼を青年というべきか少年というべきか内心で迷いながら、若干の良心の呵責が青年という言葉を選ぼうとした。 「どうしたの変な顔して」  (りょう)はそう言って首を傾けた。表情はさっぱり変わらないくせに、言うことは遠慮がなくなったと思う。そしてそれが嫌ではないことがまた裕司を複雑な気持ちにさせた。  もう3ヶ月ばかり同居している彼はまだ18で、今では裕司の恋人だった。親子ほど年の離れた彼に本気になるつもりなどさらさらなかったというのに、もはや言い訳のしようもないほど惚れてしまっていたし、良もそれを嬉しいと言って受け入れてくれていた。  その日寝る場所も持たない家出少年だった彼を仕方なく家に入れたつもりだったのが、彼は裕司の生活にも精神にも深く入り込んできて、いつの間にか切り離せないほどに居着いてしまった。それでも彼が少しでも拒んでくれたなら、大人の意地で一線を越えることはなかったのに、拒むどころか求められて、好きだと言われて触れてほしいと身を寄せられて、覚悟するほかなくなった。  裕司と違って同性しか愛せないわけではない彼とこれからも生活をともにして、その人生に深く関わって、彼が裕司のために費やす時間に責任を持つこと。同性同士であるがゆえに彼が被るかもしれない不利益や、これから社会に出ていく彼と老いていく自分との折り合いを探る努力と向き合わなければ、彼の愛を享受する資格などないと思った。  そんなふうに深刻になる裕司を良は理解しきれない様子だったが、それでも彼は裕司と自分の考え方や感じ方が違うことを許容できるほどには成熟していた。  ──俺が18だった頃よりよっぽど大人だ。  良には驚くほど無垢なところもあったが、普段はとても落ち着いた静かな空気をまとっていて、そばにいるのは心地よかった。 「……あんまり考え事ばっかりしてたら消化に悪いよ」  良はそう言いながら、裕司の傍らにしゃがみこんだ。膝に手を置いて黒い瞳を向けてくるその表情は、これといった感情を浮かべてはいなかったが、たぶん心配してくれているのだろうと思って裕司は笑う。 「俺だってそんな四六時中悩んじゃいねえよ。お前も髪早く乾かせって」  言ってその頭に手を乗せると、濡れ髪のつるりとした感触が気持ちよかった。 「どうせすぐ乾くじゃん……」 「お前は自分のことだけずぼらになるの何なんだろうなぁ」  実家でも日常的に家事をしていたという良は、この家でも掃除や洗濯をまめにしてくれていたし、頼まなくても雑事を片付けてくれるので、裕司は面倒を見られているのは自分の方なのではないかと思うことがある。そんな彼なのに、自分自身のこととなると必要最低限のことしかしたがらないところがあって、せっかく若くて男前なのだからもっと自分に関心を持てばいいのにと思った。 「大丈夫だから早くお風呂入ってきなよ」  そっけなく手を払われて、裕司は苦笑する。甘えたいときとそうでないときの落差が激しいのは良の常だった。  つれなくされるとかえって気を引きたくなる心理が働いて、裕司は良の肩をつかむとその耳に唇を押し付けた。驚いて丸い目を向けてきた良の反応に満足して、立ち上がる。  良の何か言いたげな顔を尻目に浴室に向かいながら、やはり自分は浮かれているのだと思った。  大人ぶった理屈を並べてみても、年下の恋人はどうしたって可愛い。二十歳にもならぬ若者など、恋愛感情がなくとも可愛らしく思える歳になってしまったというのに、それが自分だけを見てくれる恋人ともなれば、気を抜いたはしから顔が緩むのはどうしようもなかった。  ──いい加減外に出してやらなきゃなぁ。  良は現状学校にも行っていないし仕事もしていない。外で人間関係を作る機会のないこの生活は健全ではないとわかっているし、それを変えようともしていたが、今のままでもいいと感じている自分がいるのは否定できなかった。
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