願掛けの彼女

2/2
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/2ページ
 休日の朝早く、僕はその神社を訪れた。わざわざ朝なのは、あわよくば音羽さんと会えるのではないかという期待だ。  十数段の石段を登り、鳥居を潜り、参道を歩く。決して大きくはないが、近所の氏神様として立派な社殿が建っている。  僕はお賽銭を入れるとガランガランと鈴を鳴らし、柏手を打ってお願いした。  神様、お願いします。音羽さんとお近づきになれますように。  拝み終わり、帰ろうとしたところで、彼女が境内に入ってくるのが見えた。  僕は驚きつつも嬉しさでいっぱいになる。さっそく効果が出たのかもしれない。  音羽さんは僕の脇を抜けて賽銭箱の前まで進む。そして鈴を鳴らし、手を叩いて参拝した。  僕はその背中をドキドキしながら眺め、彼女が戻ってくるのを待つ。  くるりとこちらを向いた彼女が近づいてくる。心臓が高鳴る。  しかし彼女はまた軽く会釈をするだけで、来た時と同じように走って神社を出て行ってしまった。  それから、変わったことは何も起きていない。彼女は相変わらず毎朝僕の家の前を通り、僕はその姿を二階の自分の部屋の窓から眺める。教室ではただ遠目に彼女の楽しそうな姿を見る。悶々とした日々が続いた。  ある日、僕は自分の席で次の授業の教科書をパラパラとめくりながら、心の中で神様に文句を言っていた。  神様、お願いしましたよねえ? 全然お近づきになれないんですけど! お賽銭、足りませんでした?  ちょっと皮肉を混ぜながら悪態をついていると、ふと近くで話す音羽さんの声が耳に入ってきた。  僕は耳をそば立てる。 「うん、神社まで走ってる」  どうやらあの朝の走り込みのことのようだった。僕は予習するふりをしながら、続きを聞こうとますます耳を澄ませる。 「毎日? すごくない?」 「全然。コンクールに出るのに、体力なんていくらあっても足りないもん」  音羽さんの笑い声。僕まで楽しくなる。いつまでも聞いていたい、と思う。 「神社ってことは、何かお願いしたりしてるの? コンクールで優勝とか?」 「お願いって言うかさ、誓いだよ」 「誓い?」 (誓い?)  音羽さんと話す女子と同じように、僕も疑問に思う。神頼みじゃなくて、誓いっていうのは、どういうことなんだろう。 「神社ってね、頼み事をするところじゃないんだよ、ホントは」 「そうなの?」 (そうなの?)  と、僕も同じく。 「『頑張りますから見ていてください』っていうのが、本当のお参り。だから『コンクールで金賞が貰えますように』じゃないの。『コンクールで金賞が取れるよう、頑張ります』って、言うの。それで見合った努力をするんだ」 「あー、だから毎日走ってんのね。よーやるわー」 「神様に『頑張る』って言っちゃったからね。頑張らないと」  彼女はへへへと笑う。  彼女はただの神頼みをしているわけじゃなかった。努力をしていたのだ。  僕は、さっきまで悪態をついていた自分を思い出して、首を振った。  次の休みの日、また僕は神社にいた。  もう参拝は済ませている。  少しだけ待っていると、また音羽さんがやってきて、前と同じように参拝した。  後ろ姿を見ながら、僕は心を決める。  神様、見ていてください、お願いします。  参拝を終えた音羽さんが近づいてくる。最初の一歩だ。 「音羽さん!」  僕はうわずった声で、彼女の名前を呼んだ。
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!