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――しくじった。
ゆっくりと、重たい瞼を持ち上げる。
大きく伸びた枝葉の向こうには濡羽色の夜空が広がり、時折輝く星が森の静けさを一層引き立てている。草の上に放り出された手足には、まだ今ひとつ感覚が戻りきらない。
ゆっくりとひとつ大きく深呼吸をする。
息を吸って、吐く。
それだけの動作なのに、億劫で仕方がない。
肺の中がこれでもかと全部なくなったころ、ようやく、意識がはっきりしてきた。
そうして落ち着いてくると、先ほどまでの記憶が脳裏を駆けめぐる。
なにも、好きでこんな森に寝転がっているわけではない。
なんなら先ほどまで立っていたのは国の中心たる王城の最奥、王への『謁見の間』だった。
そこで図らずも
――否
予期してはいたし、準備もしていたつもりだったが、見込みが甘かった。
あっけなく陰謀にはまり、敵の剣に敗れ、そして僕、“地球”の運命を担う勇者たる僕は、死んだ。
「ゲームオーバーかー」
完全にやってしまった。これ以上ないほど、やってしまっている。
なにせ、謁見の間でのクエストさえクリアしていれば、勇者の役目を負った僕の“地球”を守るゲームはクリアだったのだ。
そんなに難しいクエストではないはずだった。
闇の軍勢に占拠された王城の回廊を突破し、最奥の謁見の間で魔王にとりつかれた王と対峙し、魔王を討ち果たして王を救う。
そこに至るまで、どれほどの時間をかけたことか。
ここ、始まりの森で勇者としての歩みを始めて、幾星霜。あまたの試練を超えて、装備も、ステータスも、経験値も、これ以上ないほど上げた。
勇者が勇者たるに必要な要素を、これでもかとそろえまくった。
ついでに言うと、クリア報酬には姫との婚約オプションもあった。
ステータス『姫の婚約者』は攻撃力・守備力とも格段に引き上げられるし、特殊装備アイテム『王家の剣』を佩剣することが出来るようになる。
そうなれば、この“地球”ではもう負けなしだっただろう。
そして何より、姫がめちゃくちゃかわいい。
その姫の婚約者というポジションは、それだけで他のプレーヤーから一目置かれただろう。
ゲームの配信開始とともに《勇者》の職を手に入れた僕はなんて運がいいんだろうと、当時は歓喜のあまり涙がこぼれそうになったほどだ。
なのに、最後の最後で、ゲームオーバーである。
カッコ悪いにも程がある。
絶対にリアルでは知られてはいけない。
いや、リアルどころかこの世界でも、前職勇者です~なんて知られようものなら、ただでは済まないだろう。
トップシークレットである。
「さて、と。今回の職業は何になってるかな」
ここ1,2年で若者の間で一気に広がったこのVRゲームでは、デッドエンドでゲームオーバーになるたび、ここ『始まりの森』へ新たな職業を与えられて転生する仕組みになっている。
僕は次の職業を確認すべく、起き上がってステータス画面を開いた。
「うそだろ……」
画面を見た僕は、良くも悪くも、凍り付いた。
そこに書かれていたのは、今の僕が最も望み、同時に最もなりたくない職業であった。
《勇者》
僕の思考が一瞬、固まった。
これまでにかけてきた時間と、最後の一瞬の無力さを思うと、もう笑うしかない。
しかし、ここで投げ出すことなど、できるはずがない。
なんてったって、姫はめちゃくちゃかわいい。
「しかたない。やるか!!」
そうして僕は立ち上がり、新たな冒険に繰り出した。
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