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西田が来たのはそれから一時間以上たってからだった。賢は時間を守らない人間が大嫌いだったが、彼の周りの人間は誰もが時間を守らなかった。どうにか一時間待っていられたのは、龍太郎が肉を焼いてくれてささやかな誕生日のディナータイムを過ごすことができたからだった。ナナは近くのコンビニエンスストアで百円のケーキを四つ買ってきた。一つは西田の分だと言ったが、彼が遅れたので結局はナナが二つ食べた。
龍太郎は料理が得意だった。しかし自分のために料理をすることは滅多になかった。賢は龍太郎はやれば何でもできると思っていた。金も持っているし、運転もうまい。ガレージのキャデラックCTSは彼のものだし、服や家具の趣味もいい。話し下手でもないし、ルックスだって悪くない。悪くないどころか並の男よりははるかにいいと賢は思う。賢より六つも若いし、家柄もいい。ただ、彼は貨幣愛好家だった。切手を集めたり古いコインを集める人間と変わらない。彼は貨幣が好きだった。紙幣をスケッチしたりコインのサイズや重さを量ってみたり、そういうことが楽しくてたまらない。この家の地下には龍太郎の貨幣のための倉庫がある。彼は金を使うために盗むのではなく、集めて研究するために集めるのだ。何年に印刷された千円札はインクがどうだからどうとか、賢にはわけのわからない話をよくしている。賢は聞くふりをしていつも聞き流している。そんな趣味なので、龍太郎が満足することはあり得ない。金を独占することがあり得ないからだ。龍太郎は世界中の金を集めたいと思っている。が、それは無理だし、金は回ってこそ意味があるのもわかっているので、泣く泣く金と別れることもある。だから一度手に入った紙幣は必ず番号を控え、以前に出会っていないかどうかをデータベースで検索し、そしてもし一致するものがあれば大喜びで賢に知らせに来るのだった。賢には彼の趣味がまったく理解できないが、一応身内であることだし、叔父が幸せならそれでいいと思っていた。
遅れてやってきた西田は、不思議の国のアリスに出てくるウサギみたいな男だった。いつも急いでいて小太りな体を揺らして走っているが、必ず遅れてやってくる。汗をかいて丸い顔をにやつかせて。
賢は龍太郎にチップのカスでべたついたソファの上を片づけさせ、テレビを消した。そして居間のセンターテーブルに間取り図を広げて、他の三人の顔を見た。
賢は指摘を始めようと意気込んだ。
「問題は…」
「待ってくれ、賢」西田が賢の出鼻をくじき、賢はむすっとして黙った。
ナナが賢の膝に手を置いて落ち着くようになだめた。
「これは確実に安全で確かなうまい話なんや、賢。この家は古い警備システムばっかりやし、持ち主はもう年寄りの夫婦や。どうぞ盗んでくださいってなもんや。盗むのは奥方の大事にしてる、どっかの王女が使ったとかいうティアラや。高さが十センチあるらしい。めちゃでっかい国宝級の宝石がついとるんやが、全面にダイヤもついてて、時価一千万ってな。他にもどっさり宝石があるらしい」
「当然、電気検査か何かの業者にでも化けて、金庫を見てきたんやろうな?」
西田は賢を見た。
「ネタは確かやで、賢。寝室のベッドサイドの引き出しが金庫になってるらしい。じいさん、ばあさんが寝てる横で、ちょちょいと盗んでもたらええねん」
「見たのかって聞いてんねん、俺は」
「いざとなったら引き出しの家具ごとかっぱらってもええし」
「おい」賢はソファの背中にもたれて話から抜けたいことをアピールして息をついた。「実物を見てもないのに中に入れってか? 冗談やろ」
「賢、あんたが悪いんよ。話は昨日来てたんでしょ。昨日OKしてれば下見にあんたが行けたのに」
ナナが言って、賢は彼女を見た。絶句するしかない。
「そうやで、賢、俺が話を持ってきた時にちょっとでも聞いていたら、こんなことにはならんかったんやで」
龍太郎も合わせて言った。
「昨日OKしてたとしても、下見はセッティングしてなかったやろ、西田さんは。違うか?」賢はどうして一人で責められなければならないのだろうと不条理を感じながらも冷静に言った。
西田は答えなかった。
「だいたい、なんでそんな大事なもんが警備ゼロで存在するねん? 住人がいるとこに盗みに入るのもお断りやし、警報の配線もおかしい。これやったら工事中や。情報が古いんちゃうんか? 引き出しごと盗めるもんなら、持ってこいよ。俺はここで待ってる。開くのは手を貸してやる。金が少なくても結構。ボランティアでもええぐらいや。こんな穴だらけの計画、ようあんたが認めたもんやな、奇才西田の名が泣くで」
賢は自分でグラスにウィスキーをついだ。西田がご機嫌取りに持ってきたものである。
龍太郎ははらはらして二人の打ち合わせを聞いており、ナナは賢がどうしたら乗ってくるのか考えていた。
「おかしくないねん、賢。警備システムを新しいのに交換するために、まだ一部は工事中やねん。だから完璧に、安全で、確かな話なんや、わかるか?」西田はゆっくりと言葉を区切りながら言った。顔が自然とにやけてくる。
「ガードの人間がおるやろ」賢は吐き捨てるように言った。
「おるよ。気になるか?」
「普通はな」
「気にするな。俺たちは突貫工事で警報装置の工事をする作業員になるんや。だから、今日しかないねん。明日になったら完全な本物の警報装置が付いてしまう。今日なら問題はない」
「そうよ、問題ないわ」
ナナが重ねて言った。賢は彼女をじっと見返した。気は確かだろうか?
「わかりやすい偽装工作やな。疑われへんとでも思ってるんか?」
「疑われへん。俺が保証する」
「あんたの保証なんかいるか」
賢は他の三人を見た。ナナも龍太郎も乗り気だ。きっとここまできたら、この二人は西田と一緒に行ってしまうだろう。賢は二人を警察なんかに渡したくなかった。龍太郎は腕のいい運転手であり、賢の仕事でのパートナーだし、ナナは細々とした雑用を難なくこなす天才で、賢の私生活でのパートナーである。
「ねぇ、賢」ナナが重い沈黙を破った。「時間がないんよ。私たち、本当はもうターゲットの家に着いてる予定なんやけど。そう警備員に言ってあるねん、十時には行くって」
ナナが言った。
賢は止まったままの壁の時計を見た。時計はいつでも十時十分の角度を保っている。どっちにしろ約束に遅れたことは間違いない。賢はそれに我慢ができなかった。
「だからそういうことは、早く言えってば」
賢は立ち上がってテーブルの下から道具箱を取り出した。
それを合図に他の三人も弾かれたように立ち上がった。
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