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賢はテストニアの外交官、タルガがやってくる道を逆走して彼を待ち受けた。
「うちに来ても何もない。グラン・ブルーもティアラも今は俺は持ってない。人に預けてる」
タルガはそう言って足早に歩く賢について坂道を下る。
「ティアラも見つかったんですか?」
「見つけた。でも今すぐ返すのは無理や」
「どうして」タルガが声を上げるので、賢は彼を脇の狭い路地に引き込んだ。
「ちょっと修理しとる。どっちも」
「どっちも?」
「そうや、猫は風邪で、ティアラはちょっとな。そやけど心配すんな、返すから」
「とか言いながら、実は裏で王室に金額請求してるんじゃないでしょうね」
「はぁ?」賢はタルガを睨んだ。「あのなぁ」
「だってあなたが無償で動く理由がわかりません。あなたは何を得るんですか」
「俺が何を得ようと、あんたに関係ないやろが」
「しかし」タルガは賢を見た。この男は本当に信用できるのだろうか。そして自分は誰のために動くべきなのだろうか。「私はテストニアのために仕事をしてきました。国益になるとわかっていることを、どうして今断念しないといけないのかわからない。王室は何か隠しているんです。例えば、あなたに金を支払って返還してもらうとか、そういうことではないのですか。あなたは私を利用して、ティアラを手に入れ、実は私に返すつもりはなく、テストニアに売るつもりかもしれない。違いますか」
「売るつもりはない」
「ではあなたが得る物は何なんですか。手に入れても返せないと言う。返すが金はいらないと言う。意味がわかりません」
「俺は最初から、この話には乗り気やなかった。そやのに巻き込まれてここにおる。おまけに強盗殺人疑惑もかかってる。最初に戻したい。それだけや。元々の発端は、俺のジイさんがあんたの国に預かったもんをちゃんと保管しとかんかったことから始まってる。そやから、孫としてはジジイのケツは拭かんとあかん。仲間に強盗殺人の容疑がかかったままっていうのも我慢ならん。どっちも俺には大事なことや。あんたにそれを理解せぇとは言わん。金がかからんと本気になられへんちゅうのは、病気や。目ぇ覚ませ、ボケ」
賢も一気にまくしたてる。
タルガは言葉につまり、怒りを含んだ目を見せる賢を見返す。
「では本当にテストニアと裏で取引をしようとしているのではないのですね」
賢はうなずいた。
「ティアラは壊れてた。土台が歪んで、石も一部取れてた。石は爪がゆるんだせいやと思うけど、プラチナ台の装飾が歪むっていうのは簡単な話やない。そこに王妃と国王の要求の違いがあるんとちゃうんか。今、それを腕のええ技師に直してもらってる。あと二日待て。そやないと壊れたままのティアラを返すことになる。誰が壊したって話になる。日本の保管が悪いって話になったら、俺のジイさんか間宮氏の手落ちや。死人に不名誉なことはしたくない。じゃぁ最初から壊れてたとかいうと、テストニアでの犯人探しになる。何が真実にしろ、完全な形で元に戻す。それが一番平和な方法や。みんなが隠したかったんは、ティアラが壊れてたって事実や。誰もがそれを隠すために奔走しとる。あんたもそうや」
「私も?」タルガは目を丸くした。
「王妃はなんであんたに内密に探せと言う? 国宝やろ、大々的に探した方が効率がええ」
「それは情報が定かでないから…」
「情報もチームでまとめた方がいいに決まっとる。なんで内密にしてるかって言うたら、もしほんまに見つかった場合、こっそり始末できるからやろ」
「始末って…。ティアラの発見は国の喜びのはず」
「失われた時の事情が発覚する危険な証拠でもある。発見されへんんほうがいいお宝かってあるんや、この世には」
「だから私は帰国させられるんですか。目の前まで追いつめたところで、後は王室が何とかするからと」
「と、考えると納得できるやろ。でもあんたにとって、悪い話ばっかりやない。この一件は、おそらくはテストニア王室関係者の協力のもと、あんたの親父と俺のジイさんの仕掛けたことや。二人とも愛国心も義理人情もわかる奴やろ。最後がどうなったとしても、結局は悪い結末にはならん。俺はそう思う」
「あなたのところに、王室から接触があったんですか?」
「王室からは、ない」賢はそう言ってから、少し斜め上を見た。
「ではティアラを誰に返還するつもりなんです?」
「テストニアに返す。俺から直接返すと、俺が怪しまれるから、代理人は立てる」
「誰です?」
「クソジジイの古い友人。心配するな、ほんまにちゃんと返すから」
タルガは煙草を取り出す賢を見る。
「平塚さん、あなたは本当はテストニアに依頼を受けた工作員なんじゃないんですか?」
賢は煙草に火をつけ、じっと細い冷ややかな目でタルガを見る。
「だって偶然巻き込まれたにしては、深く関わり過ぎです」
「悪かったな」
「そのうえ、見当外れのことを言いながら、実はあなたの言う通りにすれば全部うまくいく。まるであなたが裏で手を引いているみたいに。お仲間は何も知らないようなのに、あなたは全てを見通している感じがします」
「俺も行き当たりばったりなんだよ」
タルガは首をかしげる。
「あなたは実は全部わかっていて、ゴールも見えていて、そこにみんなが自然に向かうように導いているだけなんじゃないですか?」
賢は苦笑いした。そう思いたいならそう思えばいい。煙を吐き、真面目そうな外交官を見る。ただのコソ泥を、工作員と思いたいなんて、ちょっと映画の見過ぎじゃないかとも思う。しかしまぁ、変に期待されても嫌だ。
「確かにゴールは見えてる」賢はそう言ってタルガを見た。「俺には今回のことをきっかけに、やろうと思ってることがある。でもそれと、あんたの仕事とはまた別で、あんたと関わったことはさっき言ったように、道の途中で偶然巻き込まれただけや。大事なんは、本来のゴールを忘れへんことやろ。あんたは王妃のために頑張った。ティアラが問題やないやろ。王妃が幸せになったらと思ったんやろ。あんたが王室に対抗して、王妃が喜ぶと思うんやったら対抗したらええ」
タルガは黙って賢を見た。そして王妃を思い浮かべる。優しく誠実な王妃。あの方のために力を尽くして来た。タルガが職を失うことになったら、きっとあの方は悲しまれるだろう。それほど信頼されているという自覚がタルガにはあった。
「わかりました」タルガはまっすぐ前を見た。「私は一旦、手を引きます」
「それがええ」
「ただ、その前に確かに返却するという確証がほしいんです。そのおじいさまのお友達という方の名前だけでも控えさせていただきたいんです」
「は」賢は眉間にしわを寄せた。「しつこいオッサンやな。疑うのもほどほどにしいや」
「しかし、これだけは確認したいんです。でなければ私は国に戻れません」
賢はため息をつく。煙が一緒に吐き出される。
「言えん」
「え?」タルガは耳を疑う。
「言えん。俺が信用できんのやったら、信用してくれんでええ。今、俺をティアラ泥棒やって警察に突き出したらええ。あるいはテストニア警察に連行したらええ」
タルガは絶句して賢を見た。信頼しろと近寄ったり、急に拒んで遠ざかったり。わからない。
「信じることは大事やで」
ポンとタルガの肩を叩き、賢は路地から抜け出した。
タルガはその場に残され、どうしたらいいのかわからないまま、立ち尽くした。
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