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きつい傾斜の石段を上がると、天満宮神社がある。桜の木が紅葉していて落ち葉が地面に散っている。赤や黄色、少し緑の混じった葉っぱを踏んで上まで上がると、柵の向こうに海が見える。白い街の向こうに少しぼやけた海が見え、赤いクレーンの首が見える。
賢は神社の神様にちょっと挨拶しに立ち寄った。賽銭を投げ入れ、鈴を鳴らす。
両手を二回合わせてから、自分以外の仲間がもうちょっと賢くなるように祈ってみる。
神様、俺はええねん。こんぐらいで充分や。でもあいつらは違う。もっと賢くならんといかん。龍太郎は金の使い方を知った方がええし、ナナは金の貯め方を知った方がええ。西田はもうちょい慎重さを兼ね備えるべきや。このままやったら、近いうちに逮捕される。刑事の小島は俺らを大目に見てくれとうけど、そんなもんは長続きせん。小島の立場も悪くなってまう。心配で一人だけ引退することができへん。みんな引き連れて引退せなあかんのとちゃうかと思うんやけど、神様、どうやろ。俺は俺で勝手にやるべきかな。
賢は少し戸惑いつつ、ため息をついて神様を見る。
他に参拝者もいなかったが、余りにも長く陣取っていると神主に怒られるんじゃないかと思って、賢は脇に外れた。みくじやお守りを売っている棚を横目に、階段の脇の柵にもたれる。港を見ながら、ちょっと続きを考えてみる。
龍太郎は叔父やけど、まぁ兄弟みたいなもんや。弟みたいなもんやな。俺に扶養義務はないけど、龍太郎から見たら俺は保護者に近い。あいつが結婚でもするまで、面倒見たらなあかんやろとは思う。あいつ結婚できるんかな。だいたい誰と結婚するねん。俺がナナと結婚したら、あいつは一緒に住むんか? いやそれはナナが嫌がるやろ。そもそも俺はナナと結婚するんやろうか。
ややこしくなってきた。賢は首を振った。違う違う、今は結婚やなくて転職や。
ジイさんに仕込まれた仕事をやめるって言うたら、業界的にはびっくりされるんやろな。ていうか俺らが警察に喋らんかと焦るやつもぎょうさんおるしな。警戒はされるんやろな。何とか穏便に退職したいもんや。俺だけやったら盗みも続けられるけど、あいつら引き連れてやってたら、毎回逮捕される危険に脅かされまくりやからな。俺がやってる限り、あいつらは辞めへんやろし、俺が辞めたら、あいつらはどうせ回転せんやろ。あいつらに辞めさせるには俺が辞めるしかない。しょうがない、これはもう決まりや。
そこに迷いはない。賢はじっと海を見た。これでええ。
テストニアの宝を返還するっていうんは、いい口実や。ジイさんの遺産を、こうやって返還していったらええ。あと何個かあるやつも、調べたらたぶん元の所有者がわかるやろ。全部なくなったら、晴れて祝おう。俺らもそこからゼロで始められるし。
森口に空き店舗を探してもらってるし、段取りもちゃんとつけてある。
明日、返還がうまくいったら、龍にもナナにも報告しよう。これからの計画と、自分の夢と。
うまくいけば、プロポーズもしてもいい。
こういうことは、勢いみたいなもんやから。
「すみません、遅れて」
横に緑のジャンパーを着た眼鏡の青年がやってきた。少し息が切れている。
「賢さん、写真にかなり近くなったと思うんですけどね、ちょっと見てもらおうと思って」
金属加工職人の穂積が紙袋を開く。中にはティアラが入っていて、曲がっていた装飾部分がかなり再現されている。
賢はそれをじっと見て、写真と見比べた。細い湾曲が不自然にねじれていた部分も元に戻り、しかもねじれていた痕跡もない。宝石も残らずきちんと台座に収まっている。丁寧に磨かれたティアラはまるで今出来上がったばかりのように輝いている。
「どう…でしょう」穂積が黙っている賢が気に入らなかったのかと思って顔を覗き込む。
賢は穂積を見て、その不安そうな顔を見るとからかいたい衝動が抑えられない。
「気に入らんな」賢は言った。「二日かかるって言うてなかったか?」
「手直しが入った場合のことを考えたら、翌日渡しできますとは言えません」穂積は眼鏡をかけ直し、唇の端に小さく笑みを浮かべた。賢は気に入らなければ商品を突き返す。そうされなかったということは気に入られたということだ。良かった。
「手直し? どこを?」
賢が言って、穂積は苦笑いした。
「世の中には賢さんみたいに発注がうまい人ばっかりとちゃうんですよ。注文と最終的な仕上がりイメージが違う人なんかゴマンとおります。手直しは必須なんですよ」
「なるほどな」賢はうなずいた。
「賢さんみたいなクライアントばっかりやと楽なんですけどねぇ」
「俺ばっかりやと大変やぞ。毎回急ぎの仕事や」
穂積は少し猫背になって笑う。「そうっすね、のんびり補修っちゅうのも捨てがたいですわ。これ、どうします? 今、持って帰られます? お望みの場所に配達もしますけど」
賢は少し考えた。
「持って帰る。うちにはスイス銀行並みの金庫がある」
穂積はうなずく。「それがええっすわ。僕、これやってる間、強盗が入らんか緊張しっぱなしでしたもん。運んでくる途中も、事故起こしたらあかんとかいろいろ考えて事故起こしそうでしたわ」
「本物って、意外と本物っぽくないやろ?」賢は紙袋を受け取り、気楽に肩にかつぐ。
「そんなことないですよ。賢さんだけですわ、そんな時価何億とかするもんをひょいと持って帰るの。僕、早く手放したいってのもあって、急いだんです」
「穂積のとこで盗まれたって、俺は穂積を責めへんで。盗んだ奴を追いかけるだけで」
「賢さんはええ人やからそう言うてくれはるけど、普通は違いますもん」
「俺がええ人やったら、警察が泣くで」
賢は笑って、携帯電話で送金の手続きをする。そしてその完了画面を穂積に見せた。
「あんたの口座に金は振り込んだ。納期の半分でできたから五割増しやな」
穂積は表示されている金額を見て、眼鏡をちょっとあげた。
「ありがとうございまーす。またのご利用を」
賢は笑って、頭を下げる穂積を見た。穂積は嬉しそうに階段を降りて行く。
賢はそれを見送り、ティアラをもう一度確かめた。腕のいい職人を何人か知っていると、いろいろなことがスムーズに運ぶ。
賢はこれをナナの頭に乗せてやったら喜ぶかなと考えた。喜ぶだろう。喜んでそのまま逃走して中岡のところに売りに行きそうで怖い。やめとこう。
神様、頼むで。俺はそこそこ幸せに生きていけたらそんでええ。
賢はティアラを持って、階段を下りはじめた。
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