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 *  賢の祖父で龍太郎の父でもある平塚鉄治は、昭和の時代に天才といわれた大泥棒だった。後に今の西田のようなコーディネーターのようなこともして、生涯現役だった犯罪者だ。警察に捕まったことが三度あり、犯罪組織に狙われたことが数回あった。賢の父は鉄治の最初の妻との最初の子で、犯罪者の父が大嫌いで家出をし、大学に自力で通って結婚をした。彼は犯罪者の親と縁を切って司法試験を受けた。それに合格し、検察庁に入るというその春、交通事故で死んでしまったのだ。賢の母親も同じ事故で死んでしまった。賢は未熟児で生まれ、どこかに欠陥があって、長い間箱に入れられていたと聞いている。両親が死んだ事故のときには三歳になっていたが、彼は病院にいて事故に遭わなかった。そのとき鉄治は五人目の妻と新婚旅行に出かけていた。鉄治が五九歳、賢は他に身寄りがなかったので施設に入った。  鉄治は最初の妻である賢の祖母とはすぐに別れ、数年ごとに結婚と離婚を繰り返し、そのたびに息子や娘を作った。五回の結婚で彼は七人の子供を持ち、最後の龍太郎が生まれたときには、鉄治は六十二歳になっていた。最後の妻である良家のお嬢様を彼は愛した。が、そういうものほど手から滑り落ちていくもので、彼女は龍太郎が五歳のときに死んでしまった。鉄治は妻を愛していたが、子供についてはあまり何も考えていなかったので、施設に預けることにした。そして児童福祉事務所の調べで孫が預けられていることを知った。興味はなかったが、役人がうるさいので見に行くと、そこには十一歳の利発そうな子供がいた。単に利発そうなだけでなく、鉄治はその目の中に一つの才能を見た。犯罪を成功させる者に共通した、光としか言いようのない微妙なものだった。だから彼は思い直し、賢も龍太郎も引き取った。  三年前、鉄治が死んでしまうまで、二人は鉄治の助手としてよく働いた。二人は鉄治の犯罪哲学を受け継いだし、技術も受け継いだ。ただ、それぞれの個性というものはどうしてもあるもので、賢はとりあえずの金さえあれば仕事をしなかったし、龍太郎は小銭でも何でも手に入るものなら何でも持とうとした。道に落ちている一円でも喜んだ。その一円コインをアンティークのコインでも眺めるようにうっとりと眺める。鉄治は犯罪というゲームを楽しむタイプだった。それでも二人は鉄治を尊敬していたし、愛してもいた。  鉄治は二人に古い家をまるごと遺した。家の中の酒も調度も何もかも。他の元妻たちやその子供たちには現金が支払われた。税務署に明らかになっている分と、そうでない分の二種類で支払いが行われた。彼らから不服は出なかった。賢も龍太郎もそれぞれにいくら払われたのか知らないが、二人も家を受け取っただけで充分もらった気がしていた。  ナナとデートできるはずだった夜を、叔父と二人で自宅で飲みながら過ごすなんて。  そう思いながら賢はブランデーを少し飲んでソファにもたれ込んだ。龍太郎はいつも手元に置いている貨幣のビジュアル事典を眺めている。中身はほぼ暗記してしまっていると賢は見ているが、龍太郎が幸せそうなので黙っていた。 「王女のティアラが手に入ってたらさ、いくらもらえたんやろな」  龍太郎が言った。賢は新聞を広げた。疲れた。今日の失敗についてはしばらく考えたくなかった。 「さあな」考えたくはなかったが、考えてしまう。賢は新聞を膝に置いたまま、ふと思いついてソファーの下に落ちていた古い手帳を取った。そしてそれをめくる。 「あんたの金のことなんやけどさぁ」  龍太郎は目を上げて賢を見た。とても言いにくいが、言わないのも悪い気がした。 「ん?」賢は深緑の表紙の手帳から目を上げずに生返事をした。手帳を閉じ、新聞に目を戻す。「龍、あしたここに行かへんか?『テストニア博物展』やってさ」 「それよりな、あんたの金なんやけど、ナナが先月くらいにあんたには言ってあるって、かなり持っていったんやけど、知ってるんか?」 「聞いてないな」 「だから、今年の仕事は打ち止めみたいなこと言ってたけど、それはできへんと思うな」  賢は龍太郎を見た。そして新聞をようやく置いた。 「俺の金はあるけどさ、あれは俺の金というよりは、何て言うか、貴重な資料と言うか…」 「わかってるよ」賢はゆっくり酒を飲んだ。「こうなると思ってた」  ほっとする龍太郎を見て、賢は苦笑いを浮かべた。ナナは手癖の悪い女だし、龍太郎は金を使いたがらないし、西田はいつも何かへまをする。だからといって賢は彼らが嫌いではなかった。自分が完璧だから、他はどこか抜けている方がバランスがいい。それでちょうどぴったり合うようになっているのだ。賢はそれで割と満足だった。  今の仕事も嫌いではない。が、天才としては、あくせく働くのが合わないと思うだけだった。がんと働いてめいっぱい遊び、それで無一文になって仕事を一つするというのが格好いいと思う。それを世間とナナが許さないだけで。  賢は新聞に目を戻した。『テストニア博物展』が明日から開かれるらしい。賢は人を騙したり金庫のダイアルを回したりするのも好きだったが、こういう展覧会に行くのも好きだった。 「龍、明日、暇やったらこれに行かへんか?」  賢が何度も言うので、龍太郎は渋々うなずいた。でないと、賢が勝手にキャデラックを使って、廃車にしてしまう気がしたからだ。少なくとも、この前のアルファロメオはそういう運命をたどった。 「あんたの偉いところはそういうとこやな。俺やったら、盗みに関係ないものに興味はないね」  龍太郎は本当にそう思った。彼は賢を長い間見てきたが、こんなに奇妙な奴もいないと思っていた。彼は運転と荒仕事担当なのでよく知らないが、ものを盗むのには何らかの技術と知恵がいるらしい。それに加えて賢が言うには、金庫破りには視力が必要らしい。なのに賢はいつも金庫を開くとき、目を閉じている。龍太郎にはわからない世界がそこにある。 「仕事が趣味の人間は、ぼけるのも早いって言うやろ。おまえは危ないんちゃうか」  賢はからかうように龍太郎に言った。目線は手帳の中から出した古い紙に落とす。そのエアメールは鉄治の昔の友人からのものらしかった。達者な英文で書いてある。鉄治がこれをスラスラと読めたわけではないらしく、手帳の方に所々の日本語訳がメモしてあった。『テストニア』と書いてあるのが読み取れる。賢はその前後のページを繰った。そうかどこかで見覚えがあると思ったら、この手帳だ。賢はこの手帳を祖父の死後、何度かめくったことがあった。たまに人生や金庫に行き詰まったとき、鉄治のメモが役立ったからだ。 「俺がか? 確かにあんたみたいな趣味はないけどよ」龍太郎はぼけると言われたのがショックだったようで、ブツブツと同じようなことを繰り返して言った。 「冗談や」  賢は笑った。龍太郎が不機嫌そうに貨幣事典のページをめくり、賢はブランデーをまた一口飲んだ。  クソジジイが『テストニア』と関係してる。ややこしくなるから、このことは今は誰にも黙っておこうと賢は思った。
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