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翌日、龍太郎が起きると、賢が真剣に新聞を読んでいた。龍太郎はあくびをして目をこすった。
「なんかおもしろいテレビ、やってる?」
叔父に言われて、賢は黙って目を上げた。賢が見ていたのは、昨日の老夫婦の遺体が発見されたという記事だった。当然のことながら、賢たちが容疑者として書かれていた。工事業者を装った四人組、と記事には書いてあった。警察は不審な四人組について、防犯カメラの画像分析を急ぎ、警備担当者に詳しい事情を聞いている、らしい。
「今日は水曜か。そしたらあれがあるな、『お笑い道場』」
龍太郎はつぶやきながらキッチンにコーヒーを入れに行った。
賢は新聞に目を戻し、亡くなった老夫婦のモノクロ写真をもう一度見た。そして二人の冥福を祈った。どうして彼らが死ななければいけなかったのかは、賢にもわからなかった。本当にティアラがあり、それがどこかの王女のものだったのなら、それは死に値したかもしれない。が、彼らは老人であり、殺すまでもない非力な相手だ。万が一彼らが空手の達人だったとしても、賢なら殺さなかった。
西田が罠をしかけたのではないと、賢にもわかっていた。西田は賢を敵に回すのは、何より危険だと知っているはずである。
「あ、昨日のあれ?」
龍太郎がマグカップを二つ持って戻って来て、椅子に座った。
「良かったな、おまえも容疑者や」賢は笑って言った。龍太郎はびっくりして記事を見た。「おまえは警備員殴ってるし、ナナと西田も奴らと話しこんでるし、俺ぐらいかな、顔をしっかり見られてないのは」
賢はテーブルに置いていた煙草の箱を取って一本くわえた。新聞を龍太郎の方に押しやり、龍太郎が入れてきたコーヒーを一口飲む。いつものことながら、龍太郎のコーヒーは絶品だった。
「まいったなぁ、賢、弁護士雇うときはさぁ、金貸してくれよな、国選なんか嫌やからな。捕まりたくないなぁ、おまえはええよな、刑務所にいっぱい知り合いがおるんやろ? 俺の代わりに入ってくれよぉ。俺、まだ23なのによぅ」
賢は煙をゆったりと天井に吐いた。
「いくらくれる?」その金額によっては、考えてやってもいい。
「金かぁ?」
賢は渋る叔父を見て笑った。龍太郎には自由に動かせる金がない。ふんだんにある地下室の金は、すべて貴重な資料であって、いざというとき以外は嫁に出したくない娘たちばかりだ。
「金かぁ」
龍太郎がうなるように言い、賢が笑って見ているときに、玄関のベルが鳴った。賢は立ち上がりながら叔父に、別のもので支払ってくれてもいいぞと伝えた。
ドアの覗き窓から見ると、そこには出勤前らしき警察官が立っていた。
「龍、もう刑事が来よったで」
賢は龍太郎に言いながら、ドアを開いた。龍太郎が部屋の奥で、がたごとと音を立てるのが聞こえた。笑いをこらえようとする賢の目の前に、刑事の小島は指を突き立てた。
「平塚賢、おまえ、昨日の夜は何を食った?」
「またその話かよ、昨日はちゃんと龍が作ってくれたよ、デザートにケーキもついてた」
「ああ、あの料理のうまい弟か」
小島はうれしそうに賢の肩越しに後ろを見ようとした。賢の予想が正しければ、龍太郎がいまごろ地下室に閉じこもり、必死に金にカバーをかけているに違いない。
「弟やない。叔父や」賢は勝手に入ってくる小島に道を譲りながら、玄関の土間に煙草の灰を少し落とした。
「賢、おまえは食い物をなめてるけどな、人は思ってるより食い物に左右されてるんやぞ。何しろビタミンBが欠乏したら記憶を失うしな、カルシウムが欠けたら苛立つって言うやろ。おまえはもっと小松菜を食うべきやと思うぞ」
小島は中に入り、ダイニングテーブルの上の二つのマグカップを見た。両方とも湯気が立っている。なのに、今ここにいるのは賢だけだ。新聞が開いてあり、社会面が表に出ていた。コーンフレークの箱が開きかけの状態でテーブルの上にあり、流しはきれいに磨かれたように光っていた。
「何か用か?」
賢は座っていた椅子に戻って、新聞を取った。そして再び昨日の事件の記事に目を落とした。
「いや、別に用はない。栄養チェックに来ただけや、ほんじゃ弟によろしくな」
小島はついでに冷蔵庫の中をのぞいてから、賢を振り返った。賢は小島に何の関心も寄せず、ただ黙々と新聞を読んでいる。それからときどきコーヒーを飲む。少し目を伏せた横顔は、とても賢そうに見えた。
「賢」と、声をかけると、賢はようやく目を上げた。
「まだおったんか」
小島はそう言われて、苦笑いした。この男は空気抵抗ゼロという顔でいつも街を歩いている。誰の意見も気にしない、誰の評価も気にしない。迷いがない。羨ましい限りである。
「最近、何か仕事はしたか?」
そう尋ねると、賢はにこりと笑った。
「刑事に言えるようなことは、何も」
小島は賢を昔のように叩いてやりたくなったが、やめた。刑事になってからは人を殴ったことはない。
「刑事に言えないことは、やってるんやな?」
「刑事に言えないことは、言えないですね」
「おまえを逮捕したくないな」
「同感」
賢が言い、肩をすくめた。
「逮捕されるようなヘマはすんなよ」小島は賢の肩に手を置いた。自分でも刑事が言う言葉じゃないとは思う。が、そう言わざるを得ないものがあった。
「努力はします」
賢は屈託なく、にこりと笑った。
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