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ブライアンが引き金にかけた人差し指を動かすほんの一瞬が、千億年にも思えた。乾いた銃声と薬莢が跳ねる音が、左右の鼓膜を激しく震わせた。弾道は俺の身体から大きく逸れていた。弾丸は壁に当たって跳ね返り、縦横に飛び交って激しい唸りを上げた。ブライアンの銃から放たれた弾丸はわずか一発だけだった。
「なんと。もう弾切れですね。高無さん、あなたは運がいいですねえ」
まさかの弾切れによって、幸運にも俺は死なずに済んだらしい。
「あなたと違って僕は運が悪かった。あちこち撃たれました。身体がとっても痛いです。というわけでさらばです」
ブライアンは俺に背中を向け、そのままよろめきながら歩き去ってしまった。
俺はうつ伏せになったまま辺りの様子を伺って、ブライアンが物陰に身を潜めていないのを確かめてから身を起こした。それから床に転がり落ちていたマグナムを手にとって拾い上げた。
1006号室を覗いてみた。
松山会長。松山のボディーガード。野田若頭。銅田組長。金山若頭。新川本部長。みんな銃弾を浴びて屍となっている。いや待て。金山は確かに血まみれだが、閉じた瞼が微かに動いている。俺は目を凝らし、悲壮な死を遂げたはずの金山を見つめた。俺の視線に気づいたのか、床の血溜まりに大の字になっていた金山は両目の瞼を大きく開けた。
「高無おまえどっか行けや。シッシッ!」
金山は声を潜めながら、まるで野良犬でも追い払おうとするかのように右手を何度も振った。
「せっかく迫真の演技で死んだふりしてんのに、おまえがそんなとこに突っ立ってたらまたブライアンの馬鹿が戻って来ちまうだろうがよう。まったくおまえは相変わらず空気が読めねえ野郎だな」
「兄貴、怪我は?」
「怪我なんかしてねえよ。ブライアンが現れた瞬間に新川の身体を盾にしたからな」
金山は血まみれのワイシャツを指差してみせた。「この血はぜんぶ新川のだ。ははは」笑っている。良い笑いではない。虚ろな笑いだった。
「相変わらずですね兄貴」
「この世界、生き残った者の勝ちだ。俺は必ず銅謙組を復活させる。俺が五代目だ。まあそれはともかく、早く逃げたほうがいいぞ高無。俺は俺で上手く逃げるから、おまえはおまえで適当に逃げろ」
「兄貴、よかったら一緒に来ませんか」
「一緒に固まってたら目立つだろうが。それぞれ別々に動いたほうがいい」
金山の言葉に松山が「そのとおりだ」と頷いた。血まみれになって死んだはずの松山は目を開けている。松山も生きていたのだ。どうやら松山の悪運の強さは筋金入りのようだ。
「俺と金山には天運が味方してくれたらしいな」
「会長、お怪我は?」
「なあに、少しかすった程度だ。それより高無、俺と金山はどうにかしてここから脱出する。おまえはおまえで逃げろ。絶対に警察に捕まるなよ」
「俺はブライアンを追います」
「馬鹿野郎!」
金山が顔をしかめた。「ブライアンなんかもう放っとけ。警察が来る前に早いとこ逃げないとマジでやべえぞ!」
言いたいことは山ほどあったが、金山が俺の言葉に耳を貸すとも思えなかった。
「高無、金山の言うとおりだ」
松山も立ち上がりながら言った。「ブライアンなんかもう放っておけ。あれは俺たちの手にはおえん。警察に任せたほうがいい」
「警察に任せる? 冗談でしょう」
俺は踵を反し、部屋を飛び出した。
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