18

28/28
79人が本棚に入れています
本棚に追加
/221ページ
上田たちと入れ違いに、今度は一台の古ぼけた国産セダンが現れた。国産セダンは前にのめりながらタイヤを鳴らし、斜めになって止まった。国産セダンのドアが開いた。男がひとり、車外に転がり出た。 「遅かったかあ、こりゃあ酷い!」 男はすっとんきょうな声を上げながら、フィアット500の運転席のドア枠にしがみついた。警官かと思ったら違うようだ。男は赤いニット帽を目深に被っていた。男は俺の顔を覗き込んでいる。男は俺の鼻先に手のひらをかざし、素早く左右に振って見せた。 「高無さん、見えてますか。私です。私が分かりますか。ワタナベです」 ワタナベは見た目に似つかわしくない怪力で俺を持ち上げた。俺はアスファルトの上を引きずられ、古ぼけた国産車の後部座席に無造作に放り込まれた。まるで粗大ゴミにでもなった気分だ。ワタナベが運転席に座るとすぐに、クルマはタイヤを鳴らして急発進した。サイレンを怒らせた緊急車両が何台もすれ違ってゆくのが音でわかった。 「あなたに大金の臭いを感じたんですよ。だからマグナムをお売りしてからずっとあなたを尾行してました。ある程度予想して覚悟はしてましたがやはり開けてびっくりでした。凄かったですね。ありゃ戦争だ。まるでノルマンディー上陸作戦だ。あなたは地獄の沼に片足、いや両手と両足がはまり込んでしまったじゃありませんか。やれやれですよ。私には進んで火の中に飛び込むような危ない趣味はありませんからね。本来なら高無さんを見捨ててトンズラこいて知らん振りするところです。しかしこれも運命の巡り合わせというやつなんでしょうかねえ。放ってはおけませんでしたよ。まあ、ただ単に私が馬鹿がつくぐらいのお人好しなだけなんですがね」 ワタナベはいったん沈黙した。やがて躊躇いつつも言った。「私はねえ、こう見えてもかつては医者だったんですよ。国家資格を剥奪されるまでは外科医でした」 俺は感嘆の声を発したつもりだったが、それはやはり言葉にならなかった。 「だから高無さん、気をしっかり持ってください。なあに心配いりません。高無さんは悪運が強いからきっと助かりますよ。半年かかるか一年かかるか分かりませんが、完治するまで私の家に居ればいい。回復したらひと暴れしましょうよ。さっきの奴らに仕返しするんですよ。武器ならまかしといてください。1911、グロック、SIG、高無さんにとって必要なモノをなんなりと用意しますから。あと、高無さんを運びながらこれも回収しておきました。勝手ながら中身は見させてもらいましたよ」 ワタナベは助手席に置いたショルダーバッグを左手で持ち上げて見せた。中には松山会からもらった三千万円がつまっている。 「治療費込みの諸々の諸経費として、中身の半分ほどを戴きます。とんだお人好しでどうもすいません」 ワタナベは愉快そうに笑っている。クルマはスピードに乗って、深夜の幹線道路を矢のように直進していた。 「でも、お金で命が確実に買えるなら、それは安いもんでしょう?」 どうやら当分のあいだワタナベとは持ちつ持たれつの関係でやっていくしかなさそうだ。だが、それも悪くない。なにより俺は、ワタナベという男に対して次第に興味のようなものを抱きはじめていた。 「私の家は特になんにもありませんが、本だけはたくさんあります。高無さんは読書はお好きですか?」 俺はワタナベの背中に頷いて、静かに両目を閉じた。
/221ページ

最初のコメントを投稿しよう!