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封筒を手にしたまま、俺は動けずにいた。
「若頭、これどうしましょう」
一応、訊いてみた。
「取り敢えずはもらっとけ。取り敢えずだぞ。取り敢えず」
予想通りの反応。それから松山は、応接椅子に座るようにと仕草で示した。俺は無言で頷き、革張りの長椅子に腰を浅くのせた。
「おまえに話がある」
唸るように言いながら、松山が真向かいに座った。
「銀河組に少しばかり痛い目を見てもらうことになった」
銅謙組と銀河組は勢力が拮抗している。銅謙組と銀河組は同じ街中に居座り、ただでさえ少ない利権を巡って長年に渡って小競り合いを繰り広げてきた。
「経緯は話せば長くなるし、チンピラのおまえは難しいことは何も考えなくていい。まあ、大人の事情って奴よ」
「はい」
俺は松山の腹の辺りを真っ直ぐ見ている。
「組のためだ。やってくれるよな」
「何をですか」
「言わせんなよ。俺が教唆したことになっちまうだろうがよ」
「若頭の立場は重々承知しております。でも、分からないんです。いったい俺は何をどうすればいいんですか」
「組のためだっつってんだろ。二十歳すぎてそんなのも分かんねえのか」
お言葉ですが二十歳をすぎてません。俺は二十歳ちょうどです――なんて口答え出来るはずもなく。
松山の平手が俺の頬を左から右へ飛んだ。そしてそれはすぐに翻って右から左へ往復した。
「で、誰なんですか。俺が殺らなきゃならない奴は」
左右の頬っぺたが火傷したみたいに痛かった。耳鳴りが止まらないが、それはきっと一時間もすれば収まるだろう。
「だから組のためだっつってんだろうが」
「はい」
無言。松山の言葉を待つ。
沈黙の時間が永遠にも思える。
帰りたい。帰れない。
「死んで欲しい奴の名前を今から独り言するからな。聞き漏らすんじゃねえぞ」
「はい」
「春川民造」
松山は明後日のほうを向きながら念仏でも唱えるように呟いた。春川民造。銀河組の組長。目の前が暗くなった。
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