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百二十一万円。事務所の便所掃除当番が月に何度か回ってくるような末端組員の俺にとっては大金だ。それに拳銃。大金と拳銃を持ち歩くのはどうにも落ち着かない。取り敢えずは帰宅する。
庭付きの一軒家。築六十年あまり。昭和の残り香漂うあばら家。大家は親分の親類(親分の祖父の従兄弟だと聞いた)の百歳を越えた老人。一向にボケる気配もなく言動もしっかりしている。老人は堅気だが、旧帝国陸軍曹長だけあって日本刀を握ると目付きが変わる。一緒に酒を飲みたくない曲者。こう言っては身も蓋もないが、ヤクザの俺から見ても呆れるぐらい怖い男。
「英軍の捕虜十人を横一列に並べるんだ。斬るためさ。そいつらをどれだけ早くぶった斬れるか上官どもと競争をしたもんさ」と話しながら「わはははは」と高笑い。
「士官学校出の青二才たちには負けたことがない。何しろ俺の軍刀は無銘ながら源清麿だったからな」
源清麿は江戸後期の刀鍛冶。一八一三年信濃国赤岩郡の生まれ。新撰組局長近藤勇が池田屋事件で使った刀が清麿の作だったと云われている。近藤勇の清麿は無銘だったのだが、近藤自身はそれを虎徹と信じて疑わなかったという。我らが陸軍曹長殿の軍刀もまた新撰組近藤と同じ無銘の清麿。陸軍曹長殿は近藤勇とは違い冷静だった。よもや清麿を虎徹と目利き違いするようなこともなかった。
それにしても。「さすが清麿。何人斬っても歯こぼれひとつせんかったわ」などと豪語する危ない男。それをそっくりそのまま親分に話して聞かせたら、「年寄りのホラ話を真に受けるな。話が本当ならあの年寄りはとっくの昔にB級戦犯で死刑になっとるわい」と聞き流された。
ともあれ、蜘蛛の巣だらけの天井裏にカネを隠した。押し入れを伝って床に着地。擦りきれた古畳の上に胡座した。手術用の手袋を左右の手にはめた。ベレッタM9の弾倉を取り出して装弾を調べる。若頭の松山が言った通り九ミリパラベラム弾が十五発詰まっていた。遊底を引いて動かしてみた。作動は滑らか。撃鉄と引き金の調子を確かめてみる。やはり問題はなかった。安全装置の動作も確実。撃鉄を安全位置に倒す際も気持ち良いぐらいに滑らかだ。
俺はしばらくの間、ベレッタを手にとって眺めていた。どれぐらいの間そうしていたのかよく分からない。ふと気がついて見たら窓の外の太陽は薄紫色に変わり、西の空の彼方に沈みつつあった。
窓から朝陽と夕陽を拝める。俺がこのあばら家を気に入っている理由がそれだ。そうでもなければ、誰があんなおっかない旧帝国陸軍曹長の店子になどなるものか。
部屋の明かりを灯した。それからベレッタを油の染み込んだ雑巾にくるんで丸い大きなビスケット缶に入れて蓋をした。それを天井裏に隠してから、畳に寝転がって仰向けになった。
天井板の木目が顔に見える。泣いている顔に嘲笑っている顔。様々な顔が俺を見下ろしていた。
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