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「見て見て!綺麗な夜空!」 木葉が囁く森の中、社の屋根に寝転んだ狐の面の男に、少年が嬉しそうに器を掲げて見せた。 広がる夜空と笑顔の眩しさに、男は面の下でそっと微笑む。 それは遠く、数えるのも億劫になる程の昔の事。 霞み始めた記憶の断片に、男は目を閉じた。 時は流れ、大きな籠を背負い山を登る少年がいる。彼はサク、山登りは毎朝の日課である。 サクが歩いているのは、道らしい道はない獣道。草木を押し退け、それらに足を取られながらも進んで行く。向かうは山の中腹辺りにある社だ。 今でこそ社だと分かるが、サクがここを探し当てた時は、まるで森に呑み込まれる寸前だった。 絡む蔦や、覆い被さる草木を何日もかけて取り除き、周辺の伸びきった草木を刈っていく。毎日少しずつそれを繰り返し、ようやく姿を現した建物は、触れば崩れてしまいそうな程、古い社だった。 「…今日はこんなもんかな」 社に負担が掛からない程度で今日の掃除を終え、ふぅ、と汗を拭う。それから社の石段に置いた皿を見て、サクはそっと頬を緩めた。 毎日何かしらお供えを持ってきているが、翌日にはいつも無くなっていた。 昨日のお萩は自信作だ、神様が食べてくれたのかな、なんて思えば、気持ちが届いたようで嬉しくなる。実際は、森の動物が食べているのかもしれないが、それでもだ。 サクは、空の皿に今日のお萩を置き、社に向かって手を合わせた。 「神様、お願いです。僕を浚って下さい」 そう願いを込め、頭を下げた。これがサクの願いである。やや物騒な願いだが、それを叶えて貰う為に、この社を毎日綺麗にしている。 「よし」 「おい」 そろそろ帰ろうと立ち上がった時だ、突然声がしてサクが驚いて振り返ると、誰も居ない筈のそこに男がいた。 狐の面を被った着流し姿の男だ。サクはその男を見た瞬間、咄嗟に膝を付き頭を下げた。頭で理解するより早く体が勝手に動く、面の男が何をしたわけではないのに、そうしなければいけないと分かっているかのような自分の行動に、サクは自分の事ながら驚いていた。 「お前だな、毎朝ここへやって来るのは」 「は、はい!どうしても神様にお願いがありやって参りました!」 面の男から溜め息の気配を感じ、サクは恐る恐る顔を上げたが、その姿を改めて見て、再び頭を下げた。あなたは神様ですかなんて、確認するまでも無かった。神聖で清廉な空気が辺りに満ち、ビリビリと体に伝わる静かで圧倒的な威圧感に心臓が騒ぎ出す。彼が人でない事は明らかだった。 彼がこの社の神様だ、こんなチャンス二度とない。サクはその思いから、怖れを振り払い口を開いた。 「お、お願いします!僕を浚って下さい!」 「…何をたわけた事を」 呆れた声に、それでもめげずに額を土に擦りつける。 「神隠しにあった不出来の職人が、見事な技術を身につけ帰って来たと聞きました!僕に技術を授けて下さい!」 「悪いがお前は勘違いをしている。神隠しにあったほとんどの者が、町に帰らないのは知っているだろう」 「ですが、帰って来た者も居ます!僕、どんな事でもします!家を潰す訳にいかないんです!お願いします!」 「…面を上げろ」 サクがおずおずと顔を上げると、面の男はふわりと舞うように一歩進み出て、サクの前に腰を落とした。まるで人間の歩き方ではないその動きに、サクは呆然と面の男を見上げた。 「神に何を夢見ているのか知らないが、俺に技術を授ける力はない」 「え」 「見ろ、この荒れ果てた社を」 「はい!僕がお社を綺麗にしました!」 「そうじゃない!お前が来るまで俺は人間に忘れられた存在だった。神隠しだなんだと、忘れた神を引き出して勝手に話を作っているのはお前達の方だ」 「ど、どういう事ですか?」 面の男は立ち上がると、社の向こうへ顔を向けた。 「神隠しと言っているが、この町から消えた人間は、ただこの森を抜けて別の町へ行っただけだ。家を継ぐ重圧に耐えかねて逃げ出したのだろう。お前もそうすればいい、道案内してやる」 面の男が歩き出し、サクは慌てて立ち上がった。 「ま、待って下さい!では、帰って来た人は?記憶を失っていたのに、技術を身につけていたんですよ?おかしいじゃないですか!神の力を得た事実を隠す為に、記憶を奪ったんでしょう!?」 「あれも同じだ。この森を抜けて別の町へ行った。その先で事故に遭い、記憶を失ったから故郷へ帰って来たんだ。きっと、奉公先で帰した方が良いと判断したんだろう」 「でも、技術は、」 「元々持っていた才能だ、ただ家が嫌だったんだろう」 「そんな…」 「分かったらもう二度とここへ来るな、俺は早く天に還りたいんだ」 「天…?」 「お前のせいだぞ!お前さえ来なければ、人間に不必要な存在だとして俺は天に還れたんだ!」 その言葉に、サクの表情が、失望から明るさを取り戻していく。 「…では、僕が居る限りあなたは還れないんですね」 面の男は顔こそ見えないが、苦い顔をしているに違いない。 「ならば、僕に物作りの極意を教えて下さい!」 「…は?」 そう言うなり、サクは面の男に飛び付いた。
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