夏色

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電気を点けない夏の教室は、影になって明るいのに暗い。カーテンが黄色っぽいからなおさら、外の明るさとのコントラストを感じる。もうすぐ昼というこの時間の太陽が、カーテンの向こうで別世界の物語みたいに息をしている中、ひっそりと私は、教室に足を踏み入れた。 4時限目の真っ最中である今。クラスメイトたちがまさに水泳の授業をしている横を通ってきていたので、まさか教室に人がいるとは思わなかった。だから彼の姿を見た瞬間、何よりもまず純粋に驚いた。 「林くんでも、サボったりするんだね」 あんまり驚いたので挨拶をしそびれたけど、おはようを言う時間でもないし、こんにちはというのも他人行儀すぎるし、まあいいだろう。窓際の後ろの方の席で、林くんはノートに何かを書いていた。 「サボりじゃないよ。僕、足骨折して泳げないから」 言いながら、包帯の巻かれた足を指し示す。ふうん、私とは違うってわけだね。私のはただの寝坊であり遅刻であり、つまりサボりなのだから。 「なに書いてんの?」 私の席ではないけど、林くんの前に座り、手元を覗き込む。遅刻者名簿と書いてあった。 「日直だからね」 なるほど、遅刻者を、チェックしてるわけだ。趣味悪いね。私ほど遅刻した者の名前は欠席と思われて書かれないのが普通だけど、真面目な林くんは、律儀に書き足したんだね。まあいいけど。 林くんによく似合うやわらかい筆跡で、小川由佳、という名前がそこに付け加えられたのを、目の端で捉える。 「いつ骨折したの?」 「昨日の夜」 「なんで?」 「階段から落ちたんだ」 「へぇ」 なんだか漫画のキャラみたいだなぁ。ちょっと笑ってしまう。私のよく読む漫画にも、なぜだか凄く不運なキャラがいて、よくなんでもないところで転び、足を捻ったり擦りむいたりするシーンがある。林くんって真面目だし、ひょうひょうとしてるし、なんでもソツなくこなしそうだけど、意外とそういうところあるよね。 「じゃあ、ジュース買いに行くのも一苦労なんじゃない」 「実はそう。今日は暑いし、喉が渇いたんだけどね、なかなか」 「私のをあげようか、」 紙パックのレモンティー。暑さで表面に、びっしりと水滴がついている。飲みかけで悪いけどよかったら飲んでよ。パックを机に置いた振動で、刺さったストローが1回転した。 「悪いよ、そんなの」 「いいの、私もう帰るから」 「…いま来たばっかりなのに?」 「うん」 このまま帰ったら遅刻でも早退でもなくて欠席になるよ、と林くんは心配してくれているみたいだけど、私の用事はもう済んだ。だからもういいんだ。遠慮する林くんに、最後は半ば強引に、飲みかけのレモンティーを押し付けた。 「じゃ、お大事に」 影になった教室を、後にする。去り際、ありがとー、という声がしたので、右手を上げて応えた。廊下の窓からプールが見える。そろそろ授業も終わりだろう。みんな、シャワーを浴びているところだった。 今日は林くんに会うために、寝坊したけどわざわざ学校まで来たのだ。2人きりで話し、林くんが書いた私の名前を見ることができて、間接キスまで押し付けてきたのだから、もう帰ったって罰は当たらないだろう。
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