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こんにちは。
私は長州の桂小五郎というものです。
皆さん暑い日日が続いておりますが如何お過ごしでありましょうか。
私はというと常々人より「貴公はいつも涼しげな顔をしていらっしゃる」やら、
「貴方には夏という季節も関係ないように思えますなぁ。あっはっはっ」などとよく言われております。
しかしながら、私も体内に血液の流れている人間であり、肺呼吸も皮膚呼吸だってしているのです。
・・・まぁ。そのようなことはどうでもよきこと。
つまり私は夏でも冬でも暑さを感じたり寒さなども皆様方と変わりが無いのだということを申し上げたいのです。
そこのところを切実に判って頂きたい。
ところで。こうも暑い日が続きますと、私の身の周りでも季節の変化というものがちらほらと見られるようになりました。
表を歩けば行きかう人々の身に纏う着物が薄い生地に変わっていたり、浜辺に足を運べば海で泳ぐものがいたり。
それぞれ暑さをしのぐ工夫などをしているようです。
それらと時同じくして私の家でも変化が起こり始めておりました。
『変化』と言うよりもむしろ『重大事』。
私の家には柳井佐那という者がおりまして、なんと彼は高杉らを誘って菊ヶ浜へ行きたいと言うのです。
「今、なんと」
「ですから、これから高杉さんたちを誘って海にでも行こうかと思うんですけど・・・・」
海?・・・高杉・・・たち?(複数か)・・・むん・・・・・!?
「・・・だ、駄目だ」
冗談ではない。海に行くと言う事はアレな姿になるということだろうっ。
しかも共に行くのは高杉さん『たち』というではないか。つまり唯でさえややこしい相手の高杉に加えて恐らくではあるが井上や伊藤なども含まれているに違いない。
控えめだと思っていた久坂でさえも此処のところ佐那を見る瞳に何やら物憂げなものを感じる。
これは由々しき事態である。
もし仮に海に出掛けたとして褌一丁になったとする。
ここで注意しておくが先に名をあげた男どもは皆佐那に淡い想いを抱いている。
したがって恋仲である私以外のものに愛おしい佐那の褌姿が彼らの眼中に納められるわけだ。
どうだろうこの状況。とてもではないが私に耐えられる筈が無い。
・・・というよりも、何故私を先に誘わないのだ!
しかし私の心の葛藤など知りもしない佐那は、少々困惑気味に問うてくる。
「何で駄目なんですか?こんなに暑い日が続いてしまっているんじゃ日干しにでもなってしまいますよう」
先ほどは取り乱してしまい申し訳ない。
返答に悩んでいる最中もおねだりめいた視線にくらりと来たが、これは彼の貞操にも関わることであるしそうそう簡単に了承できるものではない。
頼むから察してはくれないだろうか。
君の褌姿を他の男の目に晒したくはないのだということを。
────── 結果。
「男児たるもの暑さで参るようでは日日の鍛え方が足りないのだ。もっと己を律しなさい」
何と狭量の男なのだろう。この時ほど私は己が情けなく感じた事はなかった。
しかしそういった感情を含めた私の言葉が歳若い彼の心に届くわけも無く、彼は足元に転がっていた反故紙を手に取り私に投げつけそのまま家から飛び出して行ってしまったのです。
「桂さんなんて嫌いだっ」
という、捨て台詞を残して。
嗚呼っ、何という事だ!これで私は佐那に憎まれてしまうのだ。
つまらぬ・・・いや、つまらなくはないが悋気により正気を失い、彼の私に対する気持ちを疑ってしまった。
あぁ。一体どうすれば良いのだ。
そうだ。村田先生へ教えを請おう・・・・はっ!こういった類はあの先生には荷が重すぎだった。
かといって周布さんに相談しても『まぁ、酒でも呑みながら・・・』などと言われてうやむやにされそうであるから問題外。
さて、どうしたものか。こう改めて考えてみると、長州という藩は思いのほか人格者として尊敬に値する人間が乏しいことに気づく。
いや全てではないと思うが、精神面で希望を見出してくれる人物が思い当たらない。
これは私にとっては非常に痛いところだ。
そうこうしている間にも佐那はどこかで泣いているに違いない。
こんな所で足踏みしていたら何処かの不届き者が私の可愛い佐那に手を出すやもしれぬし。
男桂。今こそ男の真価が問われる時である。
「いまゆくぞ、佐那ぁ~!」
と、勢いに任せて戸口前まで駆け出した私の背に掛けられた素っ頓狂な声がひとつ。
それは血相を変えて家から飛び出そうとする私に、下駄が左右違うとそれぞれの片方を抱え慌てて追いかけてきた下男の声であった。
・・・ふう。危ういところであった。
あの者のお陰で履物を間違って履いて家を出るという辱を晒さずに済んだ。
今は取り込み中であるが、事が万事恙無く済んだら礼をするとしよう。
それと、万一に備えて私の醜態は見なかったこととして釘を刺しておかねばなるまい。うむ。
さて、あんな事の後で言うのもなんだが、どうも出鼻を挫かれたような感じであれほど烈火の如く燃え盛っていた筈の勢いが足りない。
どうも私は理性を抑制する能力に優れているようだ。
だから高杉あたりに度々『歳よりくさい』と言われてしまうのだろうか。
その度に否定をするもののいざそういった事態になると本来の己が見えてくる。
あながち高杉の言っていることも外れてはいないようだ。
佐那は何処へ行ってしまったのだろう。
城下を四半刻ばかり回って見たが姿が見えない。もしや高杉の家にでも行ったのか。
そう思い、足先を菊屋横丁へと向かわせる。どうにも此処を訪れるには気が引けた。
佐那と喧嘩し飛び出された挙句に行方を捜しているとあの男に知れれば何と罵られるか。
後々ずっと言われるだろうなと戸口の前で大きく息をし心の準備をした。
ところが家人に尋ねたところ高杉は井上の住む湯田へと久坂と伊藤とを連れ立って昨日から出掛けていて未だ帰ってはいないという。
昨日ということは佐那とは会っていないということだ。では何処へ行ったのか。
佐那にちょっかいを出す可能性大の要注意人物が一気に四人全員減った事には安堵ものだが、今度は別の不安が頭を過ぎる。
これでは佐那の行く場所がないではないか。不安要素であった四人がよもや一番の安心できる居場所であったとは。
桂小五郎考えよらぬところであった。
いよいよ不安が私を焦らせる。
うんうんと戸口につった立ったまま考えていると家人は「先ほども桂さんのところの柳井様が訪ねて来られたんですよ」と口にした。
それを聞くや否や私は深く頭を下げ、そそくさとその場から立ち去った。
歩くだけでも汗ばむ季節であるのに、走りっぱなしの私は桶を頭上からひっくり返したかのような有様だ。
普段はきっちりと着込んでいる風であるのに今は、着物は流れ出る汗を吸い薄い生地が重くなっていた。
額からも幾筋にもなって落ちてくる汗を袖で拭い既にしわくちゃだ。だがもうかまいはしない。
ただただ佐那を探し出さねばという一心でいっぱいであった。
何故素直に『私と海に行こう』と言えなかったのだろう。
私は阿呆だ。うつけものだ。だから佐那に嫌われてしまうのだ。
心配で心配でならない。
もう山の向こうに日が沈みかけている。
暗くなれば城下といえど暴漢に襲われることがないとはいえない。
帯刀を許されている佐那であってもその技量はまだまだだ。
一刻も早く見つけてこの腕に抱きしめて安心したい、そう思う。
気づけば彼が来たいと言っていた菊ヶ浜に足を向けていた。
薄暗くなった浜辺は静けさに包まれ波の音しかしない。
砂浜を下駄で歩くのは大変だとその場で下駄を脱いで、それぞれ鼻緒を外側に向けて歯を噛み合わせるようにして小脇に挟んだ。
足袋の足裏からは太陽に晒された熱が未だ篭る砂から伝わり、どういうわけか懐かしい気持ちになった。
幼き頃、私もよくこの浜辺に来ては海に入って遊んだものだ。
それほど裕福な家庭ではなかったからこの海で獲った魚を夕餉の足しにしたり、友人たちと泳ぎを競ったり様々な思い出が蘇る。
この歳になって記憶から遠ざかっていたものがどっと溢れてきた。これもあの子のお陰であろうか。
徐々に視界も暗さを濃くし、目で探すだけでは難しくなってきた。
声を張り上げ彼の名を呼ぶ。海の小波にかき消されそうになるが負けじと更に声を張り上げた。
すると、視線の先の砂の上に大の字に寝転ぶ人型がひとつ横たわっている。
その人型からはどうにも泣いているのか笑っているのかも判別しきれないような意味不明な言葉を発しているではないか。
思わず小脇に抱えた下駄を放り、大刀に掌を添え鯉口に指を這わせる。一瞬の緊張が走った─────── が。
「桂さぁああん」
なんとも間抜けな声が上がり、肩透かしを食らう。
しかし、その声はどうにも聞き覚えのあるもので。
むん?この声はっ!?
「佐那か?」
「かぁつぅらさぁあああん」
大刀から手を離し人型、否。佐那の元へと駆け寄った。
「一体どうしたのだ。何故泣いているんだい?」
「だって家を飛び出してきたのに高杉さんたち皆出掛けてるって言われて。そ、それに桂さんに酷いこと言ったから、もう僕は桂さんの所へは帰れないって思って・・・悲しくなって・・・・」
そう一息で言い終わると、また子供のように泣き出した。
周囲は暗いが間近でなら分かる。酷い顔だ。
鼻水も涙も一緒くたになって、顔中あちこちに砂まで付けている。
そんなぐちゃぐちゃになっている佐那をとても愛おしく私はぎゅっと彼を抱きしめた。
私の元に帰って来てくれたと、そう受け取っても良いであろう彼の言葉が何より私を安心させた。
「もう、大丈夫だから泣きやみなさい。夏だからといって夜はいくらか涼しくなるからこのままだと風邪を引いてしまうかもしれない。それに腹も減っただろう。家に帰って食事にしよう」
私の言葉に胸に埋めていた顔を上げ、うるうるしている眼差しを寄越した。
「ぼ、僕。桂さんの家に帰ってもいいの?」
本気で帰ってはいけないものだと思っていたのかと、俄かに私は驚いたがそこは大人の威厳で表に現す事はない。
純粋な心を持つ彼がとてつもなく可愛いと思ってしまう所以だ。
高杉たちもこの子のこういったところに惹かれるのだろう。
出来れば兄弟のような愛しさであって欲しいものだが。
「さあ。家に帰ろう。帰ったらまずは風呂か。私も駆けずり回ったから汗を沢山掻いた。やはりこのままで食事をするのはどうかと思うからね」
「待ってください、桂さん」
立ち上がった私の腕を取り、引き止める。
中腰になっている私を少しの力を加えて砂の上に再び戻させた。仕方ないね、と笑いながら佐那の傍らへと移動すると彼は砂に塗れた指を海の上に姿を現した月へと向けた。
「綺麗ですね」
そう、微笑んだ笑顔が私の心に染み渡る。
互いに酷い様ではあるけれど、この時が彼と過ごした時の中で最高の瞬間であると感じた。
こういった時をこれから先いくつも二人で作っていきたい。
だがそう簡単ではないことも知っている。
先々世の中はすさまじい速さで変わっていくだろう。
男として、志士として逃れられない柵にももまれることになるやもしれない。
だけれど、そういったとき彼が傍らにいてくれたら、とそう思う。
この思いを直ぐには言葉で伝えられないけれど、私の安らぎが彼であるように、彼もまた私が安心できる存在でありたいと心から願う。
まずは、始めの一歩から。
「佐那」
「何ですか?」
「今日は済まなかったね」
「な、なんで桂さんが謝るんですか」
「君が海に行きたいというのを私が駄目だと言っただろう?」
「あ、あれは僕が我侭を言ったからで・・・」
「いや、違うんだ。佐那は悪くない。私が悋気を起こしたからで」
「り、悋気ですか?」
悋気と聞いてぽっと顔が熱くなった。
彼は彼で訳が分からないというふうな表情で私を見る。
私は益々恥ずかしくなり顔を背けた。
すると佐那は触れている腕を掴んでゆらゆらと揺すった。
「なんで、悋気なんですか?ねぇ、桂さん」
「いや、だからそ、そのう・・・」
「桂さんらしくないです。ここまで口にしたんですから最後まで言ってくださいね。そうしてくれないと僕は気になって仕方がありません」
恥ずかしくてたとえ穴が無くても自ら掘ってその中に頭から入ってしまいたい勢いだ。
この時ばかりは期待に満ちた佐那の声が、恐ろしく感じる。
「言ってください!」
もはや尻に敷かれているのは私の方なのだろうか。
ここぞという時に強さを発揮するのは彼のようだ。
根負けした私は大きく息を吸い吐いて背けていた顔を再び彼に向ける。
月明かりに照らされた彼の瞳がきらきらと輝いてまぶしい。
言え、言うのだ、桂小五郎っ。
今こそ、私の真価が問われる時なのだ。
「だ、だから。佐那の褌姿を他の男どもの目に触れさせたくはなかったのだあああっ!」
この日この夜。ひと月の中で最も美しい満月が浮かんだ菊ヶ浜の砂浜で桂小五郎は一世一代の告白をしたのだった。
それも誰も口になどした事のない『褌姿で悋気』という内容。
しかも、この後羞恥のあまり駆け出した途端砂に足を捕られ、放り出したままとなっていた己の下駄で額を打ち、翌日には素晴らしいまでの下駄の歯一枚分の横線がくっきりと浮かび上がっておりました。
おわり
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