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『聖典』で語られる〝救世主〟・イェホシア・ガリールの伝記によれば、我らが〝はじまりの預言者〟も、その真理に到達するまでには私と同じように悩み苦しんだのだという。
彼も、若い頃はダーマ教の神と契約した〝戒律〟を守って生きることが、神の御心に従って義人となる道だと硬く信じていた。
だがその後、すべての戒律を守って生きることなど何人にも不可能であり、その方法では誰もが悪人となって、誰も救われないことにはたと気がついた。
そして、激しい苦悩と厳しい修行の後、ついに彼はこの真理に到達する……この真理こそが、彼が神より預かった言葉だったのである。
だから、彼の説いたこの教えを後の人々は〝預言教〟と名付けたのだ!
「そうだったのだ……常に神を思っていれば、それだけで人はすでに義だったのだ……」
気づくと椅子から立ち上がっていた私は、部屋の中央で天井を見上げながら、その言葉を再び口にする。
まさに原点回帰。このイェホシアの〝預言〟が、あれほど私を責め苛んでいた苦悩より、このマルティアン・ルザールをも救うこととなった。
救世主でさえも、私と同じ苦しみを抱え、そして、その苦しみの末に神から預言を得たのだ……人は、誰しも皆、同じなのである。
「救世主も預言皇も司祭も平信徒もない……心に神を思っていさえすれば、人は誰もが預言者となり、義に生きることができるのだ……」
今さらながらにも、このプロフェシア教の根源たる真理に気付かされた私は、それまでの苦しみに満ちたこの世界がまるで違ったように見えた。
それからは、自らの義を疑って背徳心を抱いたまま執り行っていた典礼も、この上ない喜びとともにできるようになった。
また、時に思ってもいない慰めしか言えなかった告解(※懺悔)の儀においても、今では自信を持って悩める信徒を諭すことができる。
特に、かつての私と同じように罪の苦しみを抱く者には、イェホシアの預言を以って、その苦悩から解き放つ秘蹟を可能としたのである。
この時の私は、神を思うことで真に自分が義人であることを確信し、イェホシアや十二使者達の如く人々を教え導く仕事に誇りを覚え、平穏で喜びに満ちた日々の暮らしを送っていた。
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