7話

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7話

それからというもの、遥にセックスを見せるのが癖になった。 俺がしてるところを見せると遥はいい顔をする。とてもそそる顔だ。演奏とセックスは常にセットだった。遥が部屋を訪れる都度、俺は誰かを抱いていた。たまには抱かれることもあった。 倒錯した情事を見せ付けられた遥はどんな顔をしたらいいか迷い、帰るべきか居残るべきか悩み、事が終わるまで廊下に延々立ち尽くす羽目になる。 ドアの向こうで待ち惚ける遥が可愛くて、俺の遊びはどんどんエスカレートしていった。 俺のことが嫌いなくせにピアノを聞かせると言えば黙って付いてくる遥。ご褒美がほしいのだ。動画サイトの演奏じゃ物足りない、一度生で聴けば虜になる、それが時任彼方のピアノの本質だ。何回もくり返しピアノを聴かせるうちにアイツの耳はすっかり俺好みに調教され、精神からどっぷり毒されてしまった。 「これが本物の『熱情』だ」 「動画とは別物だな」 「当たり前だ、もっと近くにこい」 「パーソナルスペースはいいのか」 「俺とピアノは一心同体だからな。お前が蓋に座っても構わない」 「蓋に座ったら開かないだろ」 「言えてる」 演奏中はお互い言葉少ない。余計な会話はせず、俺は弾くのに集中し遥は聴くのに集中する。 遥に演奏を聴かせるのは官能的なひとときだった。心地よさそうに目を閉じて部屋を満たす旋律に身を委ねる遥。大学では見せない顔を独り占めする優越感。たまにごく淡く微笑が浮かぶ自覚があるのかないのか、そんな時はとても優しい顔をしていた。 会話はいらない。演奏中は鍵盤だけを見詰める。なのにくり返し隣を盗み見るのをやめられない。 遥の顔に微笑が過る貴重な瞬間を見逃したくなくて、その瞬間はまるでこっちがご褒美をもらえたみたいで、演奏が陽気に弾んだ。 『知ってる?斑鳩くんて勃たないんだよ、どんな子と付き合ってもデキないの』 『ホントに人を好きになったことないんだよ、きっと』 『心が冷たいんだ』 本当だろうか。取り巻き連中は好き勝手に言うが、隣で安らぐ遥を見ているととてもそうは思えない。俺のメフィストフェレスは穏やかな表情で演奏に聞き入り、一番気に入りのパートでは、無意識に指で脚を叩いてリズムをとる。 キスがしたいと思った。 だが演奏を途中でやめられない。プロが演奏を途切れさせるなど失格だ。演奏が終わるまで鍵盤から手を離せない代わりに、今この瞬間一番近くにいる遥を目の端で堪能する。 俺だけが知ってる、俺だけの遥。 ある日女を連れ込んで犯していると、玄関の扉を開けて遥がやってきた。 「あっあぁ、彼方ァすごいい、ィくっ、あぁっあ――ッ!」 気まずそうに顔をしかめ、ドアの向こうにたたずむ遥に一部始終を見せ付ける。 はしたない声を上げて果てた女に興味を失い、ミネラルウォーターのボトルを持って廊下にでれば、小一時間待ち惚けをくらった友人に早速皮肉を言われる。 「出直した方がいいか。あれじゃ身支度に時間がかかるだろ」 「いや。すぐ追い出す」 事が済んだら邪魔なだけだ。遥が何か言いたそうに口を開き、諦めて黙り込む。嫌な予感がした。毎日のように待ち惚けを食らい続けて溜め込んだ不満が沸点に達し、遥が踵を返す。 「やっぱり今日は……」 帰したくない。今帰したら意味がない。 咄嗟に手が伸びて、遥のズボンの中心をまさぐっていた。 「勃ってないな」 「ふざけるな!!」 普段の遥からは想像もできない過激な反応を示し、凄まじい勢いで手をふりほどく。 「怒るなよ、あんまり平然としてるから試したくなったんだ」 「覗きで興奮するわけないだろ」 「不能なのか?」 侮辱を受けて耳たぶまで赤くなる。 ああ、いい。 もっとコイツの顔を歪めたい、ぐちゃぐちゃにしたい、どうしようもなく辱めたい。 もっと狂え、もっとあがけ、俺と俺の演奏でおかしくなってしまえ。 感情を出した遥の顔はいい色に染まる。とてもそそる顔だ。 廊下で対峙した遥を底意地悪く嘲弄する。 「お前と別れた女たちが言っていた。大事な時に勃たなかったんだろ」 露悪的で嗜虐的な気分に拍車がかかる。一瞬だけ遥の顔が泣きそうに歪み、すぐまた鉄面皮の下に感情のブレを閉じ込める。 「……ほっといてくれ」 「待てよ」 きっぱりした拒絶を放ち、玄関へ赴く遥を引き止める。 「からかったのは謝る。例の噂を聞いて、本当かどうか気になったんだ」 「だったら直接聞けよ、なんでわざわざ見せ付けるようなまねしたんだ。お前が男や女と手あたり次第にしてるところを見て、ちゃんと勃ったら満足なのか」 眼鏡の奥の切れ長の瞳が揺れる。やりきれない表情にたまらなく嗜虐心が疼く。俺のメフィストフェレス。 「気付いてないのか遥」 「何をだよ」 「俺の演奏を聞いてるとき自分がどんな顔してるか」 おもむろに間合いを詰め、背けようとした顔を手挟んで固定する。 眼鏡のレンズの奥の気弱な瞳を覗き込み、囁く。 「すごくそそる顔だよ」 これまで抱いてきたどんな女よりも、あるいは男よりも欲情をかきたてる顔。すぐさま手を振りほどき玄関から駆け去る背中を黙って見送る。 自分が不毛な恋をしていると、この時初めて気付いた。
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