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10話
まともじゃない。どうかしている。歪んでいた。
どこでどう間違えたのかわからない。
遥にはどこか悪魔的なところがあった。
いやならいや、好きじゃないなら好きじゃないと断れば済む話なのに、相手に求められたからとただその一点を建前に交際してはすぐ別れる。
自分の性癖を後ろめたく思う必要などないのに、単なる保身からひた隠し、世間を欺きたいが為に相手を利用する。
貶め弄びたぶらかす。
アセクシャルかどうかは関係ない。斑鳩遥自身が生来ひどく希薄な男なだけだ。
本人は断じて認めないが、傾向が人間を作るのではなく人間が傾向を作るのだ。
露悪的な振る舞いこそめったにしないが、本性を擬態するほうがずっとたちが悪い。
本当はだれより強欲で貪欲なくせに、本性を偽り世間を欺く事なかれの小市民。
言い訳にすぎないかもしれない。
そんな斑鳩遥だからこそ、俺はどうしようもなく惹かれてしまったのだ。
大学を卒業してからも歪な関係は続いた。
遥は俺の呼び出しに応じざるえなかった。アイツは堅実な就職をし、俺はコンサートで海外中心に飛び回った。
「お前はピアノ一本でやってくんだろ」
「そうだな。他にできることもないし」
「謙遜だか卑下だか。ああ嫌味か、気付かなくてすまない」
「毒舌だな。遥は心療クリニックのカウンセラーか」
「ちょうど空きがでてな、拾ってもらえてよかった」
「たまにはコンサート聴きに来い、チケットは友人割引でくれてやる」
「殆ど海外だろ、費用が馬鹿にならないよ」
傍目にはただの不似合いな友人同士に映ったろうが、俺の部屋を訪れる都度遥は好きにもてあそばれ、他の誰にも見せない素顔をさらけだした。
『久しぶりに帰れそうなんだ。会えないか』
「すまない、都合が悪くて」
『またか。半年ぶりだろ』
「スケジュールが詰まってるんだ、人手が足りないからシフト交代も頼めないし」
『うまい店があるんだ、おごるぞ』
「悪いな、埋め合わせはまたいずれ」
かけた電話が一方的に切れる。
メールの返信頻度は次第に遅くなった。
ブエノスアイレスのホテルのスイートルーム、現地で知り合った褐色の男が、全裸にバスローブを纏い窓辺にたたずむ俺に抱き付いてくる。
「誰にかけてたんだカナタ」
「日本の友達だよ」
「ピアニストかい?」
「いや……クリニックで働いてる」
「医者かい?どこで知り合ったんだ」
「大学が一緒だったんだ」
「なんだ、カナタのカウンセラーかと思ったよ」
窓の向こうでネオンが瞬く。
ガラスに映り込んだ顔は大学時代より老けていた。
「ただの腐れ縁さ」
俺と遥はどんどん疎遠になっていった。否、遥が一方的に距離をとっていったというのが正しい。
久しぶりに帰国した俺がスマホで再三連絡をしても、遥はそっけない。
「部屋に寄ってくか」
「仕事があるんだ」
「ツレないじゃないか、明日にはアメリカ行きの飛行機に乗るのに」
「お互い十代の頃みたいにいかないだろ、ちょっとは落ち着けよ」
窘める口調は随分落ち着いていた。迷惑がる気配を隠しもしない。
俺への遥の感情は嫌悪感と煩わしさと憎しみでできあがっていた。
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