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11話
三か月、半年、一年。遥に会えない日々が募り行く。大学では毎日会えたアイツが遠くなる。
俺の知らない職場で俺の知らない人間に囲まれ俺の知らない顔で笑う遥。
世界中を飛び回りステージで脚光を浴びながら、俺の目は一人しか見ていない。どんな拍手喝采やトロフィーよりも、アイツの皮肉だけが欲しかった。
満員の会場に目を配って遥をさがす。背格好が似た観客がいると胸が騒いだ。
クラシックしか弾いてこなかった俺が、オリジナルの作曲に着手したのは22の時だ。
タイトルは決まっていた。これだけは譲れない。
初挑戦の作曲は難航した。何か月も何年もスランプに苦しんだ。コンサートで世界中を巡る傍ら、旅先のホテルに常に楽譜を持参して、ああでもないこうでもないと手を加えた。たまに帰国した時は、自宅マンションの練習室で実際にピアノを弾いて推敲を重ねた。
この曲を捧げる相手は決まっていた。最初から一人しかいない。
俺が生まれて初めて手がけた曲を気に入ってくれるかどうか。
アイツは気に入らないかもいれない。クラシックの名曲には劣ると酷評するかもしれない。かまわない、それでいい、アイツの鼓膜と心に刻み付けることが叶えばそれでいい。
この曲を聴いたアイツの反応を想像する。幻滅するだろうか。感動するだろうか。今度はどんな顔を見せてくれるだろうか。早く聴かせたいと気ばかり急いて捗らない。
俺の全てを賭して書き上げた曲。
時任彼方の集大成。
離れていた時間を執念で埋め合わせ、情熱で呼び戻すために、書いては消し書いては消し五線譜をひたすら埋めていく。
遂に曲の完成が目前に迫った。
遥の立ち会いのもと終止符を打ちたくて、最後の一音だけは空白にしておいた。
連絡をとろうとした矢先に珍しく本人から電話がきた。会いたいと乞われ、即座に店を予約した。
大学を出てから遥が誘いを断る回数は次第に増えていき、会っても飲んで別れるだけが暗黙の了解となった。
密なスケジュールからどうにか時間を捻出して連絡をとっても、遥は煮え切らない返事をするばかり。
遥とするセックスのまねごとは気持ちいい。
至福のひとときだった。
以前は自分のためにピアノを弾いていたのに、遥に出会ってからはアイツの為にだけ弾いていた。
遥はどんどん遠くへいく。
堅実な地盤を築き、平凡な日々に埋没したい一般人と、こんな出口のない関係を続けていいはずないとわかっていても手放せない。
だからこそ、久しぶりに会えて嬉しかった。
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