12話

1/1
68人が本棚に入れています
本棚に追加
/35ページ

12話

「いい店だな」 「だろ?日本に来たら絶対寄るんだ」 二人で食事を終えたあと、連れて行ったバーで飲み直す。 遥はなんだか思い詰めていた。二人で食事をするのは2年ぶりか、見た目はさほど変わっていない。 間接照明を取り込んだ眼鏡のレンズがが冷たく光る。 またこうして飲めるのが嬉しくて、もったいぶってグラスを手に取る。 「乾杯するか」 「何にだよ」 「悪友との再会に」 「大袈裟なヤツだな」 「まともに応じてくれるの何年ぶりだよ」 「色々忙しかったんだよ」 カクテルを一口飲み、遥が質問する。 「しばらくこっちにいるのか」 「まあな。働き過ぎたから休みたい」 「その方がいいかもな、最近露出が多すぎだ。無理してるんじゃないか」 「とんでもない、俺が目立ちたがりなの知ってるだろ。遥は?先生って呼ばれるのいい加減慣れたか、白衣着てるとこ見たいな、内緒で借りてこいよ」 「規則違反だよ。バレたらクビだ」 遥が苦笑いする。凪いだ目に学生時代の面影が過る。なんだか昔に戻った気分で、背広を着た肩をなれなれしく叩く。 「お互い三十路前か。時の流れは残酷だね」 「お前は変わらないな」 「お世辞は嬉しくないぞ、学生時代に比べたらくたびれたさ」 芝居がかった動作で両手を広げておどけてみせる。 とるにたらない世間話を終えたあと、遥が甘いカクテルで唇を湿して俺へと向き直る。 「報告したいことがある」 「なんだよ改まって。クリニックに有名人がきたか」 「結婚するんだ」 カクテルを口に運びかけた手が宙で止まる。 冗談かと思った。 極め付けにたちが悪い、遥には似合わない類の。 真面目くさった遥をのぞきこんで即座に茶化す。 「突然だな。相手は?俺が知ってるヤツか」 「職場の同僚だよ、年は二歳上だ。式は来年の二月を予定してる。お互いの親族にも紹介済みだ」 淡々と予定だけを述べる事務的な口調。遥はこっちを見もせず、グラスの水面に固い視線を投じている。思い詰めた横顔に一抹の後ろめたさが透けていた。 「本気なのか?だってお前……」 「本気だよ。彼女は真面目でいい人だ、結婚後も仕事は辞めずに続ける方針で一致してる。話してて価値観もあうし、変に気負わずにいられるから居心地がいい」 何を言ってるんだ。 「そうじゃないだろ」 低い声色で否定、グラスの底をカウンターに叩き付ける。勢い余って琥珀の飛沫が散り、遥の眉根が咎め立てる。 「相手はお前のこと知ってるのか」 「アセクシャルかどうかって?もちろん」 さらに問い詰めれば開き直り、グラスの残りを一気に干す。 「誤解してるよお前、俺たちは何も好き合って結婚するんじゃないんだ。人として好感もてるし同僚として尊敬もしてるけど、結婚するのは別の理由だ。しいて言えば利害の一致、共犯関係だ」 「わかる言葉で言え」 じれて迫る俺に対し、遥はゆっくりと大きく深呼吸する。 配偶者として実に理想的な、良き夫、良き父親となる将来が見込まれる誠実な表情で。 「彼女もアセクシャルなんだ」 ピアノ線が切れた。 「俺と同じだよ。誰も好きにならない、性欲を感じない人間なんだ」 極限まで張り詰めて、あっさり切れた。 カクテルグラスの脚を神経質にひねくり回し、落ち着き払って話しだす遥。 俺が見たことない安らいだ表情で。 初めて世界に居場所を見出した、自分に軸を通した眼差しで。 「お互いそうだと気付くまで少しかかった。気付いてからは早かった。初めて会った時からひっかかってはいたんだ、自分と似たものを感じたっていうか……うまく言えないけど」 「ゲイの偽装結婚みたいなものか」 咽喉に張り付いた舌を剥がして茶化す。 俺と並んでカウンターに座り、パートナーに言及する遥の口調には、素朴な安堵と尊敬が滲んでいた。 初めて仲間を見付けた喜び。 「交際を始めて確信した。初めて泊まった夜、おもいきって告白したよ。俺は勃たないんだって……誰も好きじゃない、好きになれない人間だって。彼女は一言も責めず、自分もそうだって言ってくれた」 こんな腑抜けた顔で笑う遥、俺は知らない。 俺は気持ちよくすることでしかお前を繋ぎ止められないのに、お前が人生のパートナーに選んだのは、身体の繋がりを否定しなお受け入れる自分の同類なのか。 その現実に一番うちのめされた。 お前の身体と心が欲しくて音楽で奉仕してきたのに、報われなかった。 遥は俺を裏切った。 勝手に共犯関係を解消した。 俺たちは音楽で分かち難く結ばれていたのに、拗れに拗れっきった十年来の関係をさっさと清算して、憧れる価値もない普通の仲間入りをはたすのか。 この俺を捨てて。 時任彼方を置き去って。 「なんで好きでもないのに付き合った、破綻してる」 「わからないのか?生まれて初めて『同じ』だと思ったから、本当の所を確かめたかったんだよ」 お前にはわからない。 俺がどんなに孤独だったか、たった一人で苦しみ続けてきたか。 誰とでも寝れる男が誰とも寝れない男に惚れても不毛なだけだ。 遥は自分を好きになるような男を決して好きにならない。 恋しても無駄なのに。 「誰も好きになれないくせにひとりぼっちは嫌だなんてわがままだろ」 「好きに言えよ。俺はお前みたいに強くない」 「傷をなめあって満足か?その為に結婚するのか?」 「彼女は俺を許してくれた。自分もアセクシャルだって告白して、できない俺を受け入れてくれた。恋愛感情はないけれど、一生一緒に暮らしていきたいと思える程には尊敬してる」 「日和ったな。幻滅したよ。そうやってパートナーを不幸にするのか」 「彼女も納得してる、合意の上の結婚だ。どっちが犠牲者かなんて短絡な話じゃない。出世や世間体を考えたのは否定しない、もうすぐ三十歳だ、ここで決めてしまえば結婚はどうした相手はいるのか余計なお世話な面倒くさいこと聞かれずにすむんだよ、さんざん回り道した挙句やっと普通への近道を手に入れたんだ。俺は彼女を幸せにできるように努力するし、これからは誰にも何にも恥じず普通にやってくんだ」 くだらない。 くだらないよ遥。 お前が欲しがるもの全部くだらない、そんなの何の価値もない。 頭の中であらん限りの憎悪と怒りが渦巻く。グラスを握る手が軋み、心臓が締め付けられる。 「俺との関係は、回り道か」 「……そうだよ」 遥が空のグラスを握り締め、かすれた声で小さく肯定する。 「お前が好きだったんじゃない、お前のピアノが好きだったんだ。それだけだ」 俺はどうでもいいと、ただ俺のピアノが好きだったんだと、さんざん俺に尽くされてきた男が語る。 頭の中で遥と過ごした日々が回る。二階の窓から見下ろした暗がり、カラスの翼を携えたメフィストフェレス。階段教室の真ん中でノートをとる横顔、図書室でレポートを書く姿、中庭のベンチに掛けた背中、ピアノの横に立ち尽くす姿…… 気持ち良さそうに目を閉じた表情までハッキリ思い出せるのに 「おめでとう遥」 「……怒っていいぞ」 殊更快活な口調で偽りの祝福を投げかければ、遥がいたたまれずに呟く。 律義に結婚報告をしてくれた腐れ縁の友人にカクテルを追加注文、せいぜいおどけてみせる。 「なんで怒るんだよ?ちょっと裏切られた気はしたけど、もともと遊びみたいなもんだろ。年齢を考えたら身を固めたくなるよな、わかるよ気持ち」 飴色に輝くカウンターを滑るカクテルグラス、その片方を確保する。遥はまだ申し訳なさそうに俯いてる。俺の背広のポケットには睡眠薬、素早くカプセルを解体して粉末を注ぐ。琥珀の液体に溶けて混ざる粉。 背広の胸ポケットに入ってたのはたまたまだ。ブエノスアイレスに行った時、現地で買った残り。 スランプで不眠気味だと嘆いたら、肌を重ねた男が安く売ってくれた。 「お前もせっ付かれるのか」 「結婚は?お相手は?取材じゃ毎回聞かれる」 さりげなく遥にグラスを渡す。 何も知らない馬鹿な男が、グラスに口を付けて無神経な質問をする。 「本命はいないのか」 お前だよ、遥。 お前しかいない。 十年来の報われない片想いだ。
/35ページ

最初のコメントを投稿しよう!