14話

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14話

凌辱は夜明けまで続いた。 精魂尽き果てた遥は裸のまま隣で寝ている。 先に起き出した俺は服も着ずに未完成の楽譜を引っ張り出し、震える手に持った鉛筆で、最後の音符を書き込む。 十年越しの曲が完成した。 タイトルは決まっている。 早く遥に聞かせたい。 コイツがどんな顔をするか、早く見たい。 寝室の窓にはブラインドがおりている。ブラインドの隙間から細く斜めに注ぐ陽射しが、乾いた白濁にまみれた遥の肌を縞模様に染める。 「遥」 名前を呼ぶ。 ベッドに起き上がり、意識の途切れた遥に寄り添って寝顔をのぞきこむ。 学生時代、何度もコイツに目隠しをさせた。 視界を奪われた遥は不安そうだったが、結局俺の命令に従って、マスターベーションをしろと言えばしたしフェラチオにもけなげに耐え続けた。 もし今、抱かせてくれと頼めば抱かせてくれたのか。 俺の知らない女と結婚を決めたお前が。 答えはすぐにでた。ありえない。斑鳩遥は時任彼方を決して好きにならないし、正面切って抱かせてくれと頼んだら幻滅したに決まってる。 コイツは俺の中にメフィストフェレスの幻を見ている。 本当の俺は悪魔でもなんでもない、ただの矮小な俗物だ。ちっぽけな男だ。 疲れ果てた遥の寝顔を見守り、短い前髪をかきあげる。 お前に目隠しをさせた理由は単純だ。 目隠しをしていれば、唇を寸前まで近付けてもわからない。 「……馬鹿だな。どのみち手が離せないのに、本当に馬鹿だ」 両手が鍵盤で塞がってるのに、何を企んだのか。 もしあの時コイツにキスする度胸があれば、何か変わっていたのか。 鍵盤に触れているよりコイツに触れてる方が心が安らぐなんて、時任彼方失格だ。29年間付き合ってきた自分に愛想が尽きる。 遥の瞼が微痙攣し、うっすらと目が開く。 「起きたか。身体は……」 焦点が合わない眼差しが宙をさまよい、俺を見上げて凍り付く。 ベッドを下りた遥が覚束ない足取りでトイレへ直行する。全裸のまま服も着ず、トイレになだれこんで便器に吐く。 俺が一晩かけて出した物、入れた物を全部掻きだして吐きだそうとする。 「大丈夫か」 「くるな」 ジーンズだけ穿いて追い縋る俺を制し、便器に取りすがって嘔吐。青を通り越して白くなった顔色。 「遥……」 弱々しく名前を呼ぶ。 「気持ちが悪い。痛いだけだ」 こんな事がしたかったのか? その程度の俗物か? 遥の目が、俺にそう言っていた。 学生時代に部屋に連れ込みピアノの上で犯した連中みたいに、俺の事もそういう目で見てたのかと無言でなじる。 便器に顔を突っ込んで死ぬほど苦しげに吐き続ける遥。たまらず駆け寄って背中をさすろうとすれば、乱暴に振りほどかれる。 「力ずくで気が済んだか。目を背けるな。お前がしたことをちゃんと見ろ」 髪の毛はぐちゃぐちゃに乱れ、全身乾いた白濁に塗れ、唇で食まれた鬱血のあと。 一晩中抱き潰した足腰は立たず消耗しきり、目の下にはべったりと憔悴の隈が浮く。 遥の目には極大の嫌悪と軽蔑。 「お前がブチ壊したんだよ、時任彼方」 全身で俺を拒絶し、吐き捨てる。 何も言い返せない。 遥は被害者で俺は加害者、カクテルに一服盛って部屋に連れ込み犯した卑劣な強姦魔だ。俺たちは共犯なんかじゃない。遥は被害者で、俺は加害者だ。 俺はコイツの友達じゃない。 斑鳩遥の人生を無茶苦茶にブチ壊した、底なしのクズだ。 遥はもう何も言わず、俺を無視してバスルームへ消えていく。重たい脚をひきずり、壁に寄りかかって辛うじて歩く姿から、無茶なセックスの代償が読み取れた。 セックスじゃない。 レイプだ。 人のことを考えない、独りよがりな、自慰のような。 俺はアイツの身体を使って自慰をした。 今までずっとそうだった。 俺がセックスだと思っていたのは、ただの独りよがりなオナニーだった。 「遥」 謝っても許されない。俺なら許さない。どうしたらよかった、誰も好きにならないできないお前にほかにどうしたら伝えられた、ピアノが弾けるのにお前は弾けないお前だけは弾けない、どんなに心をこめたって感情を叩き付けたってすれ違いで届かないじゃないか。 「すまない。俺がわるかった、許してくれ」 か細い謝罪はシャワーの音にかき消された。遥を追ってバスルームに行こうとして躓き、倒れ、床を這いずってリビングへ行く。そうだ、俺にもまだできることがある。 震える両手を励まして蓋を開け、完成したての楽譜をセットする。 アイツの為に弾こう、心をこめて弾こう、後悔なんてしても遅いがただ弾こう。 聞いてくれ遥。 お前の為に作った、お前に捧げる曲だ。 「あっ、が」 途中で腕が滑って蓋が落ちる。ピアニストの命の手が鍵盤と蓋に挟まれ激痛が走る。蓋にプレスされた手に遥の右手がだぶる。 『どうして庇ったんだ』 『うるさいな、勝手に身体が動いたんだよ』 『俺のこと嫌いじゃなかったのか、嫌いなヤツを咄嗟に庇うなんておかしな話だな』 『…………』 『素直になったほうが可愛げあるぞ』 『……お前のピアノが聴けなくなるのはもったいないだろ』 遥。 元恋人に襲われてから数日後、冗談ぽく尋ねた俺に根負けし、遥は言った。はにかむような笑顔で。 ほんの少しだけ心を許した、友人を茶化す眼差しで。 なんで忘れていたんだ。 なんであんなひどいことができたんだ。 再び上げる気力が尽きて蓋に突っ伏す。シャワーの音が間遠に響く。遥が出てくる前にしなくちゃいけないことがある。蓋に噛まれて腫れた手で鉛筆を掴み、メモの切れ端に走り書き、寝室に戻る。遥の背広のポケットに折り畳んだ紙片を入れ、脱衣籠へ戻す。 リビングへ取って返し、再びピアノの前に座る。蓋へと上体を倒れ込ませ、硬質な板と同化する。シャワーの雨音が止み、スライドドアが開き、きちんと背広に着替えた遥がでてくる。 言わなければ。 伝えなければ。 手遅れになる前に、もう手遅れかもしれない、それでもこれだけは伝えなければ。 「遥」 罪悪感にうちひしがれ、ありったけの勇気をふりしぼり口を開く。 リビングをまっすぐ突っ切った遥が眼前で立ち止まり、断固として要求する。 「アドレス消してくれ」 喉元までせりあがった言葉が消滅、のろのろとスマホを出して目の前でアドレスを削除する。俺の作業を黙って見守ったあと、今度は自分がスマホを出し、俺のアドレスと今まで交わしたメールを全消去する。 遥の中から俺の痕跡が消えていく。忘れられていく。 「酷い顔色だな」 「無茶苦茶されたからな」 「すまなかった」 「これ以上惨めにするなよ」 俺を見る遥の目。被害者が加害者を非難する目。友情は腐り果て、腐れ縁すら断ち切って、残ったのは冷ややかな軽蔑だけ。 ずっとお前が欲しかった。 だれより、なにより、好きだった。ピアノすらかなわない。 遥を繋ぎ止めるよすがを必死にさがす、からっぽの部屋にさがす。ここにあるのは打ち捨てられたピアノと過去の残滓だけ、なら答えはおのずと決まってる。 俺にできるのは、ピアノを弾くことだけだ。 「一曲聴いてかないか」 お前のために、お前のためだけに、最高傑作を。 「もうあきた」 たちどころに拒絶され、椅子から崩れ落ちる。手が痛い。どんどん腫れてきている。ピアニストの命はどうでもいい。ただ一曲弾き終えるまでもってくれと、お前に聞かせ終えるまで動いてくれと一縷に念じる。 「行かないでくれ」 ああ、本当に。 「なんでも好きなのを弾いてやる、お前が好きだったベートーヴェンの熱情はどうだ、きっと気に入る。新しい解釈に挑戦したんだ、批評家筋の評判もいい、今度の公演で披露する予定だったが特別に」 なんてかっこ悪いんだ、俺は。 夢中で手をのばして縋り付く、捨てないでくれと全身で懇願する。そんな事言える資格ないのに、最低に卑劣なやり方で傷付けたのに、全て手遅れになってから待ってくれと引き止める。 行かないでくれ。 捨てないでくれ。 「俺はお前が」 「幻滅させないでくれ」 メフィストフェレスが翼を広げる。 怒りが膨張すると同時、ピアノの上に立てかけられた楽譜が乱雑に舞い散る。遥が薙ぎ払ったのだ。 視界を遮るばらばらの楽譜、俺が遥を思い浮かべて書き上げた曲。これから弾こうと思っていた、俺に残された唯一の希望。 「それでも時任彼方か?」 タイトルは 「最後まで独りよがりだよ、お前」 遥か、彼方。 お前と俺の曲。
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